Monster Hunter 〜わりと大きめな力〜
サンアン様作








カップを持ち上げ傾けると、ほろ苦い芳香が広がる。 背中から流れてくるのは、演奏家達の奏でる異国の音色。
紺に染まり行く空には、おぼろげに弓形の月が見える。
湯気の昇るカップを持ち上げ、もう一口。
さすが、コーヒー一杯でこの街を生き抜いてきた老舗だけのことはある。 カップを磨く店主の顔が、窓に映ったような気がした。

月が、はっきりと見えるようになった。
路地からは、人影が薄れ消えてゆく。 代わりに、あちこちの窓から光が漏れ出した。
街灯にも、巡回する警備兵によって火が灯される。
不規則にゆらめく炎で照らされた路地は、時折道の一部が闇に溶ける。 そこに何か潜んでいそうな、そんな空間が、夜の街をいっそう不気味にさせていた。
あの炎がいつか、ゆらめくことなく、闇を作り出すことなく、常に道を照らし続けるようになるときが来るのだろうか? 人々が、山や森・・・いや、この世界で私たちと共存する彼らに、怯えないで外を歩けるようになる日は来るのだろうか。
「・・・――――ふっ――――・・・」
小さく自嘲の笑いを飛ばす。
何を考えているのだろう、私は。 もう何度も何度も考えたことではないか。
いつも辿り着く先は同じだったというのに。

「――いらっしゃいませ。」
店主が小さく呟いたのが、私の意識を引き戻した。
いつのまにか楽団の演奏は終わっており、店内に居るのは私と常連の御老人と、テーブルに突っ伏して眠っている城の衛兵。 そして、先程入ってきたのだろう、若いカップルだけだった。
「――今夜は君の為に――」
「――まぁ―――ここは皆の憧れの――」
甘い言葉が聞こえてくる。 私は、自分で笑みが浮かんでいるのが分かった。
若いとはいいものだ。 どんな無茶でもできる。
私ももう10歳若かったら―あんなふうに女性を―・・・・・と、こんなことを考えてしまうのも、私が年を取ってしまったからだろうか?
「マスター。」
立ち上がり、財布を取り出しつつ、私は店主を呼んだ。
店主は細い目で私を見た。 最近、店主にも白髪が目立ってきたように感じる。 私は少なからず共感を覚えた。
店主は私が初めてここに来たときからずっと、変わらないままの店主だった。
あれから、何十年と過ぎた。 私も老いたし、きっと店主も体力は衰えているはずだ。
だが、店主はそんな体力の衰えなど微塵も見せずに、素早く傍まで寄り、まるで一本の棒のようにきりりと背筋を伸ばして立った。
「お帰りですか。」
「あぁ、ちょっと長く居すぎたみたいだ。」
裾の長いコートを羽織りながら、私は答えた。
財布から紙幣を一枚取り出し、渡す。 店主は軽く会釈しながら両手で受け取った。
勿論、丁度の値段では無い。 だが、世話になっている店主への日ごろの礼として、私は釣りは受け取らないことにしている。 店主もそのことについては、何も言わない。
立て掛けてあった剣を、腰のベルトに引っ掛けた。 鞘についたフックが引っかかり、重くないように上手く出来ている。
私は、それじゃ、と言って出口へと向かった。
「お気をつけてお帰――ドーナホース様。」
「ん?」
店主に名を呼ばれ、足を止めて振り返る。 ・・・・様付けはやめてほしいものだが。
「名証をお忘れです。」
「ああ、本当だ。 ありがとう。」
そういえば店に入ってきたときに、ここで名を公表することは無いだろうと外したのだが、すっかり忘れていた。
店主から、金色の縁取りの名証を受け取って、ベルトに開いた穴にはめ込む。
よし、これで名証どおりの人物の完成だ。

『王室警護騎士団 団長 ノイド=ドーナホース』

そして今度こそ、私はドアを開け、肌寒い街へ出た。


1章     前兆


『――新型アプトノス系竜車は、従来のアプトノスの力のみに頼る単方向型から、開発部により開発された「バネ」を多数使用し、車体自体に内部から力が働き、より小さな力で長く早く移動することができ、さらにこれにより――』
差し込む日の暖かい豪奢な個室で、私は衛兵の持ってきた『重要書類』に目を通していた。
「ちなみに竜車を牽くアプトノスは、全長800メートルいじょ・・・・ふああぁぁぁ・・・・。」
ふかふかのソファで大きなあくびひとつ。
これであと毛布でもあれば気持ちよく眠れそうなのだが、残念ながら、あるのは毛布よりも随分薄っぺらい羊皮紙だけだった。
「ふう・・・もういいだろう。」
私は無造作にテーブルの端に置いてあったハンコを掴むと、文字列の上に勢いよく落とした。
どん。
ハンコをのけると、羊皮紙に大きく『許可』の赤文字が描かれていた。
頁をめくる。 まただらだらと長い文章が続いているが、
どん。
さっと目を通しただけで、とりあえず『許可』。
どうせアプトノス竜車についての事だけなのだ。 少々の不備でも、大した問題では無いだろう。
私は続けて頁をめくり、流れ作業のようにハンコを押す。
どん。 どん。 どん。 どん。
「失礼します。」
何度目かの「どん」と一緒に、女性のはっきりとした声が聞こえた。
私は宙で手を止め、ドアの方へ首を向ける。
「ノイド様。 コーヒーをお持ちしました。」
「フィフィか、入ってくれ。」
声をかけると、ドアを開けて彼女―フィフィが入ってきた。
ラインの浮き出る藍色のスーツに身を包み、黒い髪を腰まで伸ばした彼女は、いつ見ても綺麗だ。
フィフィ―本名はフィフスティというのだが―は、私の秘書だ。
初めて彼女が赴任してきたときは、私は自分の理性の心配をしてしまったのだが、その心配は必要なかった。 彼女は常に隙を見せず、指示も完璧にこなしたので、私がそんな気持ちになることすら一度も無かったのだ。
だが、別段付き合いが悪いわけでは無く、笑顔もよく見せるので、城内での人気は高かった。
・・・・・お陰で私は羨ましがられることになるのだが・・・・・。
「いつもすまないな、ありがとう。 フィフィ。」
「いえ。」
軽く会釈し、散らかった羊皮紙の隙間にカップを置いてもらう。
フィフィはその羊皮紙のいくつかに目をやって、
「ノイド様・・・ちゃんと仕事してくださいね。」
「分かっているさ。 だが、竜車の却下印なんて、『リオレウス』に牽かせる―とか以外に押すことはないだろう?」
私は自分の意見を強調するように、最後の羊皮紙にどん!とハンコを叩きつけて、テーブルの脇へ追いやった。
「ふう・・・。」
一息ついて、淹れてくれたコーヒーをすする。 美味い。
例の『マスター』の店には劣るが、それでも十分にゼニーを取れる味だ。
思いながらちらとフィフィに目をやると、彼女は最後に判を押した羊皮紙を手にとっており、
「そうでしょうか? ノイド様、これ、王府の資金案ですよ。」
「何ッ!」
ほらこれ、とフィフィの持ち上げた羊皮紙には、確かに。 都の税金の振り分けが事細かに書いてあった。
「そりゃいかんな・・・。 ノージの処へ行くのが紛れ込んだんだろう。」
参ったな、と。 ぽりぽり頭を掻く。
私の処へ回ってくる書類は、全て開発部か軍の報告書だ。
資金などの、運営に関わる内容は、私では無く同期のノージのところへ行くハズなのだが・・・。
私はその羊皮紙を指差し、
「すまないが、フィフィ。 これをノージの処へ持っていってくれないか?」
「畏まりました。」
もう一度、小さく会釈。
羊皮紙を二つに折って、ファイルの間に挟む。
そのまま踵を返して、ドアへ向かった。
「あ、それと。」
私は、ドアノブに手を掛けたフィフィを呼び止めた。
彼女はドアの前で振り返る。
怪訝そうな表情で私を見つめた。
「何でしょうか?」
「コーヒーを、もう一杯。」
空になったカップを差し出す私に、フィフィは小さく笑みを向けて、
「――畏まりました。」

コンコン。
ノックの音が響いた。
「?」
フィフィが出て行ってから、まだ5分と経っていない。
どうやらフィフィではないようだが・・・
「誰だ?」
「俺っすー、隊長ー。 ディーズっすー。」
ドアの向こうから、やたらカルい返事が返ってきた。
続けて同じ口調で、入っていいすかーと言ってきたので、肯定の代わりにドアを開けてやる。
赤い絨毯の上に立っていたのは、一人の若い兵士。
といっても、別に鎧なんぞを着込んでいるわけではない。
ラフなシャツとパンツの上に、イーオス革のジャケット。 少々趣味は悪いが、城下に下りればあっという間に溶け込んでしまいそうな格好である。
それを何故兵士と言い切れるのか――答えは単純明快。 彼がディーズと名乗った、私の親しい部下だから、である。
「失礼しまーっす、隊長。」
至極どうでもいいことなのだが、ディーズは私を隊長と呼ぶ。
表向きは騎士団なのだから団長のハズなんだが。
しかし、それを彼に言うと、
「いーえっ! 王府の一騎士に『団長』なんて似合いません! それだと盗賊みたいじゃないっすか。」
と、真正面からきっぱりと否定されてしまった。
なんだかそう言われればそんな気もしてきて、いつの間にか好きなように呼ばせることにした。
最近では彼に影響されて、他の兵士達も私を隊長と呼ぶようになってしまった。
まったくもって、私はいったい何なのか・・・。
とにかく、そんなわけで私はディーズの名付けた『隊長席』に腰掛け、ディーズは『隊長机』の前に直立した。
「聞いてくださいよ隊長!」
机にバンッと手を付き、身を乗り出して言ってくる。
フィフィにカップを渡しておいてよかった。 この乱雑した書類を提出するころには、間違いなくコーヒーの跡が染み込んでいただろう。
「さっきここへ来る途中なんですけどね。 フィフィちゃんとすれ違っちゃったんですよ〜!」
そこでそこで、と廊下を指差す。
「あー、やっぱ綺麗だなぁ・・・、フィフィちゃん。 一瞬ちらっと目が合いましてね? その瞬間にこう、ふわ〜んとい〜匂いが〜・・・。」
ふわ〜ん、を両手で表現するディーズ。
私は小さくため息ひとつ。
陽気でお調子者で、しかししっかりと仕事もこなす。 そんな優秀な彼の、唯一の欠点が、これだ。
フィフィの、ファン。
だいたい彼が部屋へ来たときは、フィフィの素晴らしさとか、魅力とか、どう考えても私のほうがよく知っていることを延々と話す。 話し続ける。 止めるまで話す。
そうでないときは、ひたすら『隊長羨ましいっす〜』と呟き続けるのだ。
私の方も、初めのうちは付き合っていたがだんだんと面倒くさくなり、うんとかあーとか相槌を打つだけになった。
そのうち、経験から確実な止め方も心得た。
彼は元々は仕事熱心。
本来の用件を思い出させてやればいいのだ。
机に両肘を付き、顔の前で両手を組む。 頭を深く落として、腕の間からじろっと一睨み。
「――お前、わざわざそんなこと報告しに来たのか?」
効果覿面。
あれってやっぱ俺に気が―などとほざいていたディーズの体がぴたっと止まり、ぽりぽりと頭の後ろを掻きだした。
「あ、いえいえ。 違うんです違うんです。 はは。
 あのですねー、ノイド隊長。 今日仕事終わったらお暇ですか?」
「ああ。 今日はもう終わりだし、帰っても特にすることは無い。」
「んじゃ飲みに行きましょうよ! 他の奴らももう来てるんすよ!」
―なんだ、本用もそんなことか―
心の内だけで呟いて、代わりにうーんと唸ってみせる。
他の奴ら、というのは、まあ部下たちのことだろう。 ディーズが顔が広いので、本当に赤の他人が来ているかもしれないが。
唸ってはみたが、答えなど決まっている。 断る理由は無いのだから。
「ああ、いいぞ。」
行くよ、と返事をすると、彼は小さくガッツポーズを決めた。
こんなオジサンが行くというだけで喜んでくれるのだから、嬉しい限りだ。
そのまま、じゃ早速、と私に促すが、それを片手で制し、
「まぁ待て。 いまフィフィにコーヒーを頼んでるんだ。 それを頂いてからじゃないと失礼だろう?」
「あ、そうなんすか。 ――いーなー。 やっぱ羨ましいなー。」
こらこら、そんな視線で睨むな。
心配しなくてもいいだろう。
彼の話によると、ここへ来るときにフィフィとすれ違ったらしい。
ならばおそらく――
「失礼します。」
私の思考を遮って、再び凛とした声が響いた。
ドアを開いて迎え入れると、案の定、立っていたのはフィフィだった。
両手に、湯気立つカップをふたつ乗せた盆を抱えて。

もう分かっているとは思うが――ここは王都。王城シュレイドを囲うように造られた都だ。
もともとシュレイド王国は、古の龍達との戦争の際、ばらばらだった国々が集まった連合軍を基にしてできた国だ。龍たちを退けた後の、今度は人同士の醜い覇権争いはつい二十年程前まで続いていたのだが、それも当時一番力のあった現王の一人勝ちという形で終結した。
なので今はシュレイド王室の統制のもと、平和な時代が続いているわけだが、しかしやはり危険な飛竜の飛び交う昨今、シュレイド城は内に大規模な兵器工匠を持ち、かなり大きな建造物となっている。
そんなものを抱えているわけだから、当然都も大きくなる。綺麗な円形を描く城壁は直径十数キロに及び、東西南北それぞれに大きな門が設けられている。特に南の大門は、大河に面しているせいか人通りが多く、他の門より一回り大きい。
そうなると、今度は観光客を相手に景色の改良が始まる。旅館ができ温泉ができ、土産物屋が建ち並ぶ。街灯には鉱石類を投入し、色とりどりの炎が街を飾ってゆく。赤と緑と青に照らし出されるオブジェ。噴水の周りを虹色が取り囲む……などなど。
まぁ、何が言いたいのかというと。
ほろ酔い気分でテラスから覘く南門街の夜景は素晴らしい、ということだ。

しっとりとした木造の手すりにグラスを置く。
軽く火照った体に、夜風が心地よい。
コーヒーを頂いた後に、ディーズがどうにかしてフィフィとコンタクトを取ろうとするのを引きずってきたり、引きずったせいでどこが会場なのか分からなくなって遅刻したり、着けば早々妙齢な女性達に酌されたり、その間に同席の部下達に近況の相談をされたりといろいろ大変だったが、ようやくこうやって落ち着けた。
会場は店主の良い声響く居酒屋などではなく、かなり上等の旅館だった。
テラスからの夜景が素晴らしいと評判で――実際に今体感しているわけだが――これは大奮発したなとディーズに耳打ちすると、
「隊長を迎えるならこれくらいしないと!」
とにこやかに言われてしまった。そんな気を遣ってくれなくてもいいのだが。
まさか私が全部払う、なんてことはないよな。
風に流されて、楽器の音が聞こえてくる。
どこぞでまた、客の歓迎でもしているのだろう。今のこの場と同じように。
まったく、本当に我々は、あの強大な飛竜と共存している存在なのだろうか。命懸けの狩りに赴く巨獣たちに申し訳なくなってくる。
……いや、これこそ人の知恵の賜物か。
人はただ、他の生物よりも少し頭が良かっただけなのだ。
うむ、そういうことならば、しっかりと人の特権とやらを味あわせてもらおう。
ぐいっとグラスを一気に傾ける。最近この動作が多いような気がするな。
蜜柑色の液体は、すこしだけ酸っぱかった。

「んぉ? 隊長ぉ、飲んでますねぇ。」
ふいにそんな声が掛かった。
グラス片手に赤ら顔でよたよたと近寄ってきたのは、もちろんディーズだ。水か酒でもぶっかけられたか、長めの黒髪が濡れている。
私は軽く微笑んで、手の中の空のグラスを振った。
「ああ。今日はちょっと飲みすぎたかもしれんな。」
お前は大丈夫なのか、と尋ねると、そりゃぁもう酒には強いですからと張った胸を叩き、げろげろとその場にうずくまった。
「その程度じゃ、まだまだだな。」
「へへ……いやぁ、ちょっと暴れすぎたみたいっす。」
顔を上げて、へへへと照れたように笑う。
こういう人懐っこい笑顔がディーズには似合う。ずっとこんなふうに笑っていれば、フィフィの目にもとまりそうなものだが。
「あ、そういえば、隊長。」
「ん?」
ディーズが突然思い出したように言った。
「あの噂、聞きました? ほら、開発部のやつ。」
「あの噂?」
聞き返して――すぐに思い当たる。同席した者たちの話に出てきたあれだろう。
たしか、開発部の極秘研究にあたっていた研究者が、研究資料を抱えて逃げ出した、というものだったか。
私は、城の生産事情に精通していない。実用段階まで研究されたモノに、商用的な使用許可を出すだけの立場だ。
なので私には、そんな事件が起きていたことなど知る由も無かった。
「あぁ、研究者が逃げ出したというアレか。」
「そうですそうです。数週間前の夜中に、実験サンプルと一緒に南門から逃走したっていうその人なんですけどね?」
そこまでは知らなかった。
ディーズはすこし焦らしてから、そしてすこし嬉しそうに、
「すっごい綺麗な女の人らしいんですよー。」
お前はそれしか頭に無いのか。
心の内で呟いて、代わりに私が頭を抱えていると、勝手にディーズが続け出した。
「もうすぐ人を使って、片っ端から捜索していくらしいんですよ。そしたら俺達兵士の出番じゃないですか! 嗚呼、俺が見つけてあげたいなぁ……」
うっとりと妄想に浸るディーズ。
一番に見つけて何をするつもりなのかは知らないが、心から思いとどまっていただきたい。
いや、それよりも。
「捜すのはいいが、ディーズ。手がかりか何かはあるのか?」
浮かんだ質問をぶつけてみる。
美人というのは聞いていた。ミス開発室とも囁かれていたらしい。
しかし、それ以外の特徴を、今日いる人間誰も口にすることは無かった。
身寄りとか、友人関係とか、そんな捜索する上で大切な情報は、少なくとも私の耳には入ってこなかった。
せめて、盗んだ実験サンプルが何だった、とかくらいは知っておいてほしいのだが……
しかし、私の淡い希望をかき消すように、ディーズの答えは、
「金髪美人ってだけっす。」
そこらへんにごろごろしてるじゃないか。
片っ端から捜索して、片っ端から捕まえるのか? いくらなんでもそんな無責任な。
「盗まれた資料っていうのが何だったのかとかは……?」
「極秘、らしいっす。」
淡いものとは、簡単に消え去るから淡いというのだ。簡単に消えなかったら、きっと激しいとか凄まじいとか言われているはずだ。
はぁ……
上層部の者は何を考えている。城外へ流れた極秘情報を、城内の者が知らないでどうするのだ。
もしかしたら、そんなに大切なものでは無いのかもしれないな。
「まったく……不毛だな。」
「えぇ、そうですね……」
私の落胆した呟きに、同じく、少し落ち込み加減のディーズの声が重なった。

どれくらいそうしていただろうか。
飲み疲れたディーズは眠りこけ、私はひとり手酌で飲んでいた。
他の者も、広間で取り込んだ洗濯物のように重なって倒れ付している。余程飲んだのだろう。
夜の闇はいっそう深さを増し、星の瞬きを強調している。
流石に、こんな時間に外を歩くものはいないのか。街灯揺らめく大通りに、人の影は無く――
――いや。
在った。
それはもう、とてもとても怪しげな人影。
影――と形容するのはおかしいかもしれない。
黒く見えるのは、本当に全身に黒服を纏っているからだろう。中腰で忍び足、さらには挙動不審なだけでじゅうぶんに怪しいのに、背負った大きな布袋が怪しさを数倍に膨らませている。
「……泥棒……?」
以外に何と見ろというのだ、あれを。
人目が無いか気を遣いながら私に気付いてない様は非常に面白く、酒の肴にしてやろうかと思う。盗みを終えたのなら走り出していいんじゃないかとも思うんだが。
などと少し不謹慎なことを考えてしまったが、仮にも私は警護隊の騎士。やはり職務質問くらいはしておいたほうがいいだろう。
「すまんな、ディーズ。少し用事ができた。」
私は財布を取り出し、適当に札束を抜くと、ディーズのジャケットの内ポケットに差し込んだ。
それだけあれば、十分全員のぶんを払えるだろう。先払いしていたのかもしれないが、その時は私からの感謝の気持ちだと思ってくれ。
財布をしまい、テラスから広間、そして階段を下りる。そうか、ここには風呂もあったんだな。それを先に頂いておいてもよかったか。
少し名残惜しいが、まぁいいだろう。
私は、宿の引き戸を静かに開けた。

路地を出たとき、泥棒の姿は無かった。
しまった、遅れたか。逃げられたのかもしれん。
小さく舌を鳴らし、大通りの真ん中まで出る。
あの泥棒が進んでいた向きからすると、向かっていたのは南門。都の外へ逃げるつもりだったのか。
逃がすわけにはいかない。酔った頭で面白いなどと言ってしまったが、逃げられては面白さなど感じる余裕は無い。
南門へ向かって駆け出す。
ゆっくり飲んでいたのが幸いして、足取りは大丈夫だ。千鳥足の警官になっていたら情けなさすぎるところだった。
しばらく走ると、泥棒の影が形になってきた。この距離なら声も届くだろうが、それで逃げられてはかなわない。気付かれないように近付くことにする。
泥棒は、忍び足の割に足が速く、なかなか距離が縮まらない。次第に南の大門が近くなってきた。
まずい、もし門の外に馬かなにかでも用意していたら、逃げ切られてしまう。
ここはイチかバチか、声を掛けてみるか。
近所の皆さんごめんなさい。
すぅーっと大きく息を吸い込んで……
――そこのお前、待て!――
私の口から声が響き、同時に泥棒が走り出す。私も追って駆け出し、近くの数軒の窓から光が漏れ出す――そんな私の想定は、一番初めから挫かれた。
声が、出なかった。
いや、出せなかった。
感じたのだ。強烈な、何か。
何か。
そう。例えるなら――視線。
背筋が凍る、ということがどういうことなのか、初めて理解した。
急いで振り向いて、腰の剣に手を掛ける。
気配を感じたのは背後から。そんなすぐには遠くへ行けないはず。
人影は、無い。だが、押し倒されそうなほどの気配が、プレッシャーが襲う。
嫌な汗が頬を伝う。
軒を連ねる店々。そのどれかの内の、どこかの物陰にそれは潜んでいるはずだ。
街灯の照らせない影が憎い。
いつでも抜刀できる構えをとりながら、しかし、何が起こっても剣を抜ける気がしなかった。
押し付ける気迫に耐える。
無言の、迫力の戦い。
いや、狩りか。
奴が狩人。私は獲物。
ハンター達の狩りと唯一の違いは、獲物が反撃の術を持たないこと。
恐怖に体が縛り付けられる。反撃と同時に、逃げることすらも許されないのか。
ぎり、と、奥歯を噛み締めた。
少しだけ、血の味がした。
――ザッ! ザザッ! ザザッ! ザザッ!――
身を貫かれる覚悟を決めたとき。
音は意外なところから聞こえた。
あれは――門の外?
そうか。あの泥棒、やはり何か乗り物を用意していたのか。
随分長く緊迫していたように感じたが、実はそんなに経っては――
途端。
体の縛りが解けた。
緊縛だけではない。あの襲うようなプレッシャーが、何時の間にか消え去っている。
これは、助かった、ということだろうか?
剣の柄から手を離す。力を籠めすぎた掌からは、薄く血が滲んでいた。
とりあえず、あの泥棒に感謝しなくては。
時間にして、数分の出来事だったのだろう。しかし、流れ出た汗の量は、たった数分のそれではなかった。
まだ足が震えている。
なんだったんだ、あれは。呑みすぎた幻覚か? 今日の酒に、何かの薬でも入っていたのか?
可能性としてありそうなのは、あの泥棒の共犯者だろうか。実行犯の黒ずくめの近くで待機。邪魔に入りそうだった私を見つけ、ボウガンか何かで牽制しようとした。それを感じ取り、私の足が止まっているうちに、黒ずくめは逃亡。共犯者も姿を消した……いや、なにか違う気がする。そもそもあの黒ずくめが、本当に泥棒だったかすら定かではない。
ふぅ。
知らず、ため息が漏れた。
どれだけ思考を巡らそうが、とにかくしてやられたことに違いはなかった。
――いくら最近動いてなかったからとはいえ、ああもあっさり出し抜かれてしまうとはな――
情けなかった。衰えを感じた。
――そろそろ、任を離れるべきなのかもしれんな――
夜空には変わらぬ星の瞬き。
静寂に満ちた通りを、冷たい風が吹き抜けてゆく。
火照った体に、しかしその風は、どこまでも冷たかった。












By Mind of Hunting