Rain is like wind
義魂様作







プロローグ

最初、目が悪くなったのかと思った。
だが、すぐ後ろにある木々ははっきりと見える。 目に問題は無い。
じゃあ、あれはなんなんだろう?
ピントはあっているはずなのに、薄くぼんやりと霞むその姿。
水辺に移る薄紫の影が、それが幻ではないことを教えてくれる。

突然それが、首を持ち上げた。
同時にパチッっと音がして、薄紫の影が揺らいだ。
首を真っ直ぐに伸ばした姿はとても美しくて。
ぼんやりとした光が、とても妖艶で。

どれくらい見惚れていたのだろうか。
気がつくと、水辺の傍に薄紫の影は無く。
何もしていないのにどっと疲れた気がして、茂みの中で座り込んだ。
ふーっ、と、大きくため息をつく。
目を閉じると、まだあの妖艶な影が鮮明に蘇った。
あの、何かのはじけるような音さえも―

パチッ。

音?
記憶の音が、こんなにはっきりと聞こえるものだろうか?
それとも、それほど受けた印象が強かったのか。
パチッ。
また聞こえた。
おかしいおかしいおかしい。 これは絶対に錯覚などではない。
じゃぁー・・・?
パチッ パチッ パチッ。
はじけるような音。 そう、例えるならまるで電気回路のショートしたような。
―そうか、あれが噂の―
はじける音の間隔は、どんどん短くなる。
どこから聞こえてくるのかさえ、分かるほどに。
―幻・・・・の―
ぎぎぎ、と。
油をいれなければ動かないんじゃないかと思うくらい、首の動きは遅かった。
それでもなんとか、視界は私の、ちょうど後ろにある発光体を捉えていた。
―幻の・・・ケモノ―
パチパチッ パチッ。
数回。 その美しい体が瞬いて。
そして。
その眼が、私の視線と絡まった―――――


1章 『雨と風と氷の瞳』


「お客さん!着いたよ、ミナガルデだ。」
御者の威勢のいい声で、男は目を覚ました。
隣の・・・といってもそれなりに距離はあるが、隣の街『ナスティ』から馬車に揺られること2日。
ここ『ミナガルデ』に来るのは久しぶりだった。
窓から覗くあの岩山をくりぬいて作られた街は、他の街と似てはいるが、やはりこの街特有の形状を保っていた。
「・・・・ん・・。」
組んだ足をほどき、身を起こす。
腹の上に掛けた毛布も、くるんで鞄のなかに無理矢理詰め込んだ。
「ご苦労様。 いくらだ?」
コートを羽織り、脱ぎ捨てた靴を探す。
「あいよ、360ゼニーだ!」
手探りで、座席の下をまさぐる。 冷たい皮の感触を手の甲に感じた。
「なんだよ、ちったぁまけてくれよなぁ。」
「ハッハ! 冗談を。」
ハハ・・・と笑いながら、御者に銀貨と銅貨を数枚手渡す。
「んいー、まいど!」
靴のかかとを、床でトントンと鳴らした。 久しぶりの感触。 ぴったりフィット。
大きな鞄と皮袋を抱えて立ち上がり、そのまま馬車を降りた。
白く舗装された道路を、馬車が走り去って行く。 蹄の音が小さくなって、やがてそれが周囲の喧騒の音に変わった。
びゅっと冷たい風が吹き抜ける。
男の赤っぽい髪が流され、コートの下で体を震わせた。
「んー・・・。 さて、と。」
軽く伸びをして、男は周囲の人の流れに混ざりこんで、歩き出した。


簡素な木造りのドアを押すと、とたんにむっとした酒と煙草の匂いに襲われた。
「ねぇちゃん! ビール追加だぁ!」
「おう。 こっちもこっちも!」
「おいおいお前。 また俺に奢らせる気じゃねぇだろうなぁ。」
まだ昼間だと言うのに、凄まじい活気。 きちんと換気をしていなかったら、ものすごい湿度になりそうだ。
男は、叫ぶおっさん・・・いや、ハンター達を見回しながら、まっすぐカウンターへ向かった。
すっ、と、椅子を引いて体を滑り込ませる。 鞄は隣の椅子の上に。
「あら。」
「よぉ、ベッキー。」
カウンターの向こうの美人は、一瞬驚きを顔に表して、
「いらっしゃい。 ―久しぶりね、裏ハンター。」
すぐに笑顔を見せ、男の職を口にした。


「・・・なるほど。 じゃぁ今回はこんなもんね。」
「ったく、血も涙も無ぇ女だなぁ。」
にこやかに言ったベッキーの手には、南国の方の珍しい首飾り。
そしてカウンターテーブルの上に、さらに数点の貴重なアクセサリーたち。
そのすべてが、男が運んできたものだった。
「あら。 なんだったら、あなたのやってることをギルドナイツに報告してもいいのよ?」
「わぁーってるよ・・・。 くそ。」
けっ、と、男はテーブルに突っ伏した。
「いやー、しかし。 裏ハンターって儲かるのねー。 こんないいもの持ってるなんて。」
紅く光る宝石を、うっとりと見つめるベッキー。
男は大きくため息をついて、
「お前がいるから、わざわざ怪しさ丸出しの仕事請けたんだよ。
 その紅いのと、あとそのドラグライトのがそん時の報酬だ。」
「へー、そりゃ大変だったわねー。 どうもありがとう。」
「てめ・・・全然気持ちこもってねぇぞ・・・。」
「あは、バレた?」
ったく・・・と小さく呟き、グラスを手に取る。
中の琥珀色の液体は、ミナガルデのような岩山の高いところにある、小さな果実を漬けたものだ。
甘みが強く、加えて香りも評価が高く、女性などに人気があった。
だが決してアルコール濃度が高いわけではなく、ジュースと言ってしまってもおかしくない味で。
「あいかわらず。 それしか飲めないのね。」
「いいだろ、別に。」
言葉と同時に、ぐいっとグラスを傾ける。
口に含んだ液体を流し込むと、男はベッキーに、
「・・・・・・で、どうだ。 最近で、俺に回ってきそうなやつはあるか?」
ひとまわり小さな声で尋ねた。
急に本題に入った男に、ベッキーは少し眉を顰めて、
「はいはい、ちょっと待ってね。」 ぱたぱたと、店の奥へと消えてゆく。
男は再びテーブルに頭を預けた。
かちん。
グラスの氷が、溶けて音を立てた。
透明なグラスの中で、透明な氷の中から曲げられまくった光が飛び出し、不思議なきらめきを見せている。
酒場の熱気からか、氷が溶けるのがとても早い。
見ているうちに、どんどん水かさが増していく。
氷にヒビが入っていた。 もうちょっとで、上の氷が割れて、下へ。
―そう、かちんっ。 かちんっ かち―
だが、グラスから伸びる光が形を変えるのも、そのときの澄み切った音も、すべて突然目の前に現れた黒っぽい壁に遮られた。
壁は目と鼻の先。 というよりも、すでに鼻が当たってしまっている状態で、その感触は冷たくて柔らかかった。
そしてすぐに、隣に気配。
ふわりと、風が薫った。
それが酒場では滅多に感じることの出来ない、清楚な女性特有のものだと気付くまでに少し時間がかかった。
目の前の、黒っぽい壁が持ち上がる。
少し顔より遠くに再び現れたので、それが鞄だったのだと見て取れた。
「ああ、ごめんなさい・・。」
声は高めで、すこしゆっくりとした口調。 テーブルから見上げると、長い黒髪が背中辺りにまで続いていた。
「あ、いえいえ。」
男は軽く返事を返し、身を起こす。
高い目線から見ると、逆光で見えなかった女の姿がよく見えた。
肌は色などついていないかのように白く、逆に肩にかかって垂れる髪は、墨で染めたのかと思うほど黒い。
座ったままでも背が高いと分かる。 背筋をピンと伸ばしたその姿は、まるで御伽噺に出てくる妖精のようだった。
だが――
「・・・なにか、お悩みですか?」
男は、すこし身を潜めて呟いた。
まだ昼だと言うのに、この酒場は大盛況だ。 酒を呑み歌い踊り暴れ壊し謝り笑い。
男が依然立ち寄った街で見た、「ぱちんこ屋」という娯楽の店の爆音に匹敵するほどやかましい。
だが、ここにいるほとんどの者がハンターだ。
狩りで鍛えられた耳には、普通の客同士の会話さえも筒抜けだ。
男は聞かれたくない話になりそうだと悟り、なにより自分の仕事に関係がありそうだったから、声をかけてみたのだ。
「は・・・? いや、何のお話でしょうか・・?」
「あなたの、あなたの眼が、そう言っています。 何か大きなことに直面していると。」
女が首を回し、男の顔を見つめる。。
全く、色の無い瞳で。
「ああ、失礼しました。 いきなり変なことを言ってしまいましたね。
 俺は、レインと申します。 怪しいものでは無いので、どうかご安心を。」
かちん、と。
グラスの最後の氷が液体へと姿を変え、残っていた琥珀色を薄くした。
太陽は山にその姿を半分ほど隠され、紅い空が騒がしい酒場を同様に染め上げる。
もうじき、この紅色は藍色へとうつってゆく。 そうすると、この酒場はよりいっそう活気が増すことになる。
日が暮れてから狩りに出るハンターはそういないからだ。
さらに、1日かけて狩りに出るものは、この時間帯に戻ってくることが多い。 狩りの後の一杯は格別だと言われており、人が増えていくのは仕方が無いことだった。
そんな、ハンター達が浮き足立っている中で、その女は異質な雰囲気を放っていた。
カウンターの椅子に一人、長い黒髪を夕日で紅く染め、シャツに薄手のカーディガンを羽織っただけの姿で座る女。
酔った男達が集まるこの場所では、品がいいとは言えないちょっかいのひとつやふたつ、かかってもおかしくない格好だった。
だが、その女の背中から放たれる雰囲気。 重く、暗い空気。
そんなものが、男達を寄せ付ける妨げになっていた。
グラスがかいた汗が、しっとりとカウンターを湿らせてゆく。
伸びる紅い影。 リオレウスのような、滾る血のような赤ではなく。
グラスによって集められた紅い光たち。
それを、女はじっと見つめていた。。


その女は、シーナと名乗った。
氷から伸びる光が綺麗だったので、つい近づいてしまったのだという。
レインは女に、自分の素性を絶対に他言しないと約束させてから話した。
自分――レインが、裏ハンターと呼ばれる存在であること。 裏ハンターとはいわゆる流れのハンターのことで、各地を巡り、ギルドに受け入れてもらえなかった依頼、他のハンターが失敗した依頼などを依頼人から直接請け負い、遂行するハンターだということ。 請け負いの現場をベッキーに見つかって、ギルドナイツに報告しない代わりに珍しいものをよこせと脅されていること。 裏ハンターというのはベッキーが勝手につけた呼び名であること――などなど。
それを聞いたシーナは、
「そんなことを私に話してもいいんですか?」
と尋ねた。
実際この質問は当然だった。
流れのハンターが行う狩りとは、言ってしまえば『密猟』のことで、度が過ぎたものなら一発でギルドナイツが飛んでくることもある。
そんな仕事をしている自分の素性を、よく知りもしない人間にぺらぺらと話しているのだ。
もしシーナが一言ギルドに告げれば、それだけでレインの命が危うくなるかもしれない。 ・・まぁ、ベッキーなら別だが。
しかしレインは全く動じず、フッと小さく鼻で笑うと、
「大丈夫。 そのへんは、長年の勘ってやつか。
 人を見る目くらいはあるさ。」
すこし話して打ち解けたからなのか。
随分と軽い口調で言った。
続けて、
「しかしなんで、氷の光なんかに?」
「え、ええ・・、それなんですけど・・・。
 私、この間からどうしたのか、光っているものが怖いんです。」
「光ってるもの?」
「はい。 太陽は当然として、電球や炎。 光が反射するなら、鏡とか、金属でも。」
―やはり悩みはあったか―
レインは、心の内で呟いた。
しかしまぁ実を言えば、目に関するなにかがあるだろうとは思っていた。
理由は簡単。 シーナの瞳に、光が灯っていなかったからである。
いくら太陽を背にしていても、その姿を数秒も見つめていればぼんやりと目や鼻の位置が分かってくる。
それは太陽からの光と暗さのギャップに目が慣れ、他のものから反射した光に照らされるからなのだが、そのときの彼女の眼は。
顔の各部ははっきりしているのに対し、その眼の部分だけが、照らされず返さず昏いままだった。
それは、眼の器官に何か異常をきたしているであろう、何よりの証拠だった。
だが―
「光が・・・怖い、か。 聞いたことが無いな・・・・。」
そう。
光を見ると気分が悪くなるという病がある。
眼に太陽光を当てると、それが何倍にも増幅されたように見え、頭の奥の方がキリキリと痛み出す病だ。
一部の村ではこの病が大流行し、多くの者が何年も苦しみ続けた。
だがそれは、最近見つかったあるモンスターの毒のせいで、特製の解毒薬を使えば治すことができると判明した。
そして、今伝わっている眼の病気と療法は、この一件しか存在していなかった。
突然光が怖くなる。 それも太陽に限らず、ほとんどの光が。
「でも、あの光・・。 あの氷の光がとても綺麗で、全然怖くなくて。
 それで、不思議に思って近付いてみたんです。」
「・・・なるほどね・・・・。」
ちょっと失礼、と断って、レインは胸のポケットから煙草を取り出し、火をつける。
吐いた煙が、ゆっくりと昇り、やがて霞んで消えてゆく。
すこし、頭の中がこんがらがっていた。
光が怖いというのがどんな感覚なのかは分からないが、シーナの状況から見ても、そんなにいいものではないのだろう。
煙とおなじように、ゆっくりと整理し、そしてやがて収まるべき場所へと消えてゆく。
そんな状態のまま、どれくらいたっただろうか。
耐え切れなくなったのか、シーナが口を開いた。
「あの・・・私、どうすればいいんでしょうか?
 レインさんは・・私を治せるんですよね? だったら、お願いです。 ・・・・どうか私の眼を、元にもどして――」
悲痛な色を混ぜた、悲鳴のような声。 どこか、泣いているようにも聞こえた。
「あ、あぁ・・。 すまんね。」
レインはシーナの方を向いて座りなおすと、静かに腕を組んだ。
シーナもレインへ体を向ける。 その眼は光を見ないように、しっかりと閉じられていたが。
レインは悩んでいた。
光が怖い。 弱々しいものなら別として、強い光には飛竜以上の恐れを抱いてしまう。
でも氷を通したのは大丈夫だった。
こんな城の学者でも分かりそうにないようなことを、裏とはいえハンターごときにどうしろというのだ。
やるだけムダなのかもしれない。
しかし。
―面白ェ・・・―
これこそが、レインが裏ハンターとなったきっかけだった。
すなわち、好奇心。
もちろん好奇心だけで踏み込んでいい世界ではない。 ハンターに憧れで就いてもやっていけるが、流れの身になるとそうはいかない。
生活のため、自分自身の過去のため。
挙げようと思えばいくらでも挙げられたが、やはり大本の部分には知的好奇心というものが存在していた。
知りたい。
おそらく、この世界にはまだまだ知られていない生物達がいる。
過去の『龍』たちの存在。  未だ見ぬ謎の生物達。
すべてを知って。 そしてそれから逃れる知恵を持って。
そうすれば、それが『強』で『食』でも。自分達が例え『弱』で『肉』であっても。
きっと、生き延びてゆける――
「よし。」
ぱぁん!と。
レインはあとで腫れ上がるであろうくらいの強さで、思い切り膝を叩いた。
「報酬金は5000ゼニー。 ギルドを通してないから、契約金はいらねぇよ。
 その依頼―」
―俺が引き受ける―
という言葉を、最後まで紡ぐことはできなかった。
「ごめんごめん、遅くなっちゃったわね〜。」
レインの言葉を遮って、店の奥からベッキーが姿を現した。
見れば大量の依頼書を両腕に抱えている。 おそらくこれを探し回っていたのだろう。
ベッキーはふらふらとカウンターへ歩み寄り、そのままどさぁっ!っと依頼書をぶちまけて、
「ふ〜・・・。 あんた最近来てなかったから、過去のあやしげな依頼がい〜っぱい溜まってたのよね〜・・・。
 ・・・・あら? どうしたの、そのひと。」
「あー・・ベッキー。 悪いんだけどさ。」
レインはばつの悪そうな顔で、ベッキーに向かって両手を合わせる。
そして、もう一度シーナに向き直り、
「あんたの依頼。 俺が引き受けた。
 その眼、必ず治してみせる。」

2章  雨と風と黒の竜


滾々と湧き出る清流の泉で、魚が跳ねた。
空中で、差し込む日を照り返し、その体が金色に輝いた。 黄金魚、というやつだろうか。
そのままぽちゃんっ、と水の中へ帰る。 今度は透き通った水が飛び、陽光を受けてきらめいた。
小さなドーム状の、自然の穴ぐら。
天井に空いた穴から太陽は差し込むが、それだけでは穴全体を照らすことは出来ない。
しかしその辺りは上手く出来ているようで、ちょうど泉に光が当たるようになっており、穴の中はいわゆる間接照明状態で明るかった。
ここは、今ではハンターたちの絶好のキャンプ地として知られているが、昔は洞穴だったらしい。
それが崩れて上にぽっかりと穴が開いたため、日が差し草木が育ち、キャンプとして使えるようになったのだという。
まぁいまは、それが仇となっていると言えなくもないが。

「ひいぃぃぃい! いま魚がピカっって魚が魚が、ああぁぁぁ!」
レインは《鬼ヶ島》を磨く手を止め、声の方へ細めた視線だけを向けた。
辺りには、普段ギルドから支給されるBOXは一切無く、レインの私物の、建てかけのテントがひとつ。
それと、その影に隠れて座り込んでいる女がひとり。
「れれレれレインさんっ! ささ・・魚がッ、魚がッ!」
女――シーナは泉を指差し、がたがた震えながら助けを請うようにレインを見上げた。
シーナは、この前酒場で見たような薄着ではなく、厚手のシャツとパンツの上から皮のジャケットを羽織り、腰には護身用のナイフをぶら下げている。
見た目は駆け出しの女ハンターといったところで、うなじでまとめた長い髪にしっくりと似合っていた。
「はー・・・・だから街で待ってろっつったのに・・・。」
額に手を当てて、大きくため息ひとつ。 やれやれ、とでも言いたげに首を振る。
「だっ・・・だって、奇病なんでしょう!? ずっと一緒にいて診ててもらわないと、どんな異常が出るか分からないじゃないですか!」
「だからってなぁ・・・。 わざわざレウスがらみの仕事にまでついてくることはねぇだろ。」
いいからさっさとテント建ててくれよ、とレインはもう一度《鬼ヶ島》の整備に戻った。
そんなレインに、シーナは思いっきり膨れ面で、
「レインさんこそ! ハンターの仕事ふたつもかけもちなんてどうかしてます!」
ビシッと言い放った。
この言葉は、どうやらレインに嫌なことを思い出させたらしく、
「うっ・・・わ、悪かったなぁ・・・・。 ベッキーの依頼は絶対なんだよ・・・・。」
そう。
レインとて、ただでさえややこしい仕事の途中に、他の仕事などしたくはない。
だがその依頼主は、あの凄腕受付嬢、ベッキーなのだ。
世界広しと言えど、嫌がるレインに無理矢理仕事を押し付けられるのは、ベッキーを置いて他にはいないだろう。
《鬼ヶ島》の弾倉を丁寧に拭きながら、レインはこの依頼を請けたときのことを思い出していた。


ばっ!
突然つきつけられた黄色っぽい紙から、つん、と埃のにおいがした。
いや、埃の臭いだけではなかった。 紙を掴むその白い手からは、微かな香水の香りも漂ってきた。
「な、なんだ?」 紙のせいで、掴む人間の姿は見えない。 仕方ないので、血の色の爪に目をやりながら訊ねてみる。
「私の労力のぶん――」
もう一度、強く紙を押し付けられた。
「これ! 無報酬で請けてもらいますからね!」
ようやくその紙が依頼書だと気付いて、レインは爪から依頼書に目を移した。
掴んでいた白い手―ベッキーの手が、その依頼書をカウンターテーブルに置いて広げた。
―その眼、必ず治してみせる―
きっぱりと言い放った、その数分後。
レインから説明されて、ぶつぶつ言っていたベッキーが、突然席を立った。
そして、戻ってきたとき持っていたのが、この一枚の依頼書だった。
「なんだこれ? えーと・・・」
レインの視線が、依頼文の上を走る。 どうやら、飛竜に関する文章のようだった。
『森と丘』と呼ばれる、全てのハンターがまず狩りに慣れるために向かう狩場がある。
そこに、『リオレウス』が巣を作ったのだという。
それだけなら、別に珍しくは無い。 『森と丘』には、飛竜が巣を作りやすい、絶好の洞穴があるからだ。
だが、やはり新人が多く向かう場所で、ギルドとしても死人を出したくは無いので、早急に熟練のパーティを送り込んだ。
そして、その全員が、大怪我を負って帰ってきたのだ。
「大怪我、ねぇ。」
レインは、やれやれという風に依頼書を放り出した。
まだ途中までしか読んでいないが、ただの失敗の尻拭いのようだ。
今はそんな仕事をしている場合ではない。 隣に座るシーナの目を治すのが先決なのだ。
ため息ひとつついて、胸のポケットから煙草を取り出す。
火、と呟いてポケットを探ったが出てこなかったので、蝋燭の火で代用した。
だが、レインのそんな態度にも、ベッキーは落ち着いて、 「ええ。 みんな、体中を溶かされかけてたの。」
「溶かされかけてた?」
さらりと言ってのけた言葉に、レインは驚いてもう一度依頼書を覗き込んだ。
確かに、武器や防具、そして体までもが、体液とは違う何かで溶かされかけていた、と書いてあった。
そして、一番軽症だったハンターの証言によると、
「色違いの、リオレウス・・・・・。」
「そう。」
普通、リオレウスというのは全身を赤い甲殻で覆っている。
だが稀に、突然変異種、というものが現れて、その体は蒼や、銀の甲殻で覆われていた。
それは通常の赤いリオレウスよりも硬く、またその行動は、リオレウスの習性を大きく破錠しており、多くのハンターが彼らに挑んで命を落としていた。
しかし、いくら突然変異種でも、獲物を溶かすようなことは出来なかったはずだが・・・。
そんな考えが、表情に出たのだろうか。
ベッキーはとてもタイミングよく口を開いた。
「今まで、見たこともない―――黒い――リオレウスだった、らしいわ・・。」
「黒い・・・・。」
ぽつりと、繰り返す言葉が口から漏れた。
「このことは、まだハンター達には言ってないわ。 未知数の相手に向かっていくのは危険すぎるし、全滅でもされたらたまったもんじゃないからね。
 でも――」
「・・・・・・・・・・・でも?」
焦らすベッキーの先を促す。 まぁ、言われることは分かっていたが。
頬を、冷たい液体が滑ってゆくのを感じた。
「あんたなら♪」
にこやかに言い放ったベッキーの、しかし有無を言わせぬその視線にレインは、
「・・・・・・・・はい・・・・・・・。」
そう頷くことしかできなかった。




アプトノスの群れが、流れる風に首を持ち上げた。
水面に波紋が広がってゆく。
その、吹き抜ける風に混じって、火薬の臭い。
シーナの鼻は、前を行くレインの背中を見つめながら、それを感じ取っていた。
火薬・・・というのは、おそらくあの長銃から漂ってくるものだろう。
モンスターが現れると、その喉に銃口を向け、軽く力を加えるだけで――
その情景が目に浮かんできて、シーナは体中から力が抜けていくのを感じた。


ザァッ。
強く草を踏む音がして、レインは背中の《鬼ヶ島》に手を伸ばした。
だがすぐに、それが自分の後ろから聞こえたものだと気付き、振り返ってみてまた驚いた。
「お、おい! 大丈夫か?」
草原にへたりと座り込み、力なくうなだれていたシーナに、レインは駆け寄った。
両手で肩を掴み、何度も前後にがっくんがっくんと揺らす。
一瞬上を向いたときに見えた瞳に、色は無い。
まるで、そこだけが奪われたかのように、どこまでも昏かった。
「ん・・・っ・・あ、あれ・・?・・あ、れ、レインさん。」
やがてシーナは目を覚まし、とりあえず目の前にあった顔に反応した。
「あ、レインさん じゃねぇよ。 どうしたんだ、いったい。」
「は、はぁ。 いや・・・よく分からないんですけど、突然力が抜けて・・・・。」
言いながら、その場に立ち上がる。
両手で、土のついた膝をパンパンとはたく。
「力が? 太陽でも見すぎたのか。」
「いや、そんなのじゃないんです。 こう、なんていうか・・・。
 命が危ないって感じが・・。」
「・・ふむ・・・・・・・・・・。」
ていうか、ここどこですか?と呟くシーナを無視して、レインは顎に手をやり考え出した。
命が危ない。
普通、恐怖の多くはこれが原因だろう。
しかしそれがいつもとは違う・・・ということは、光が怖いというのは、また別の・・?
どうやら、まずは恐怖の原因を探る必要がありそうだった。
「その、命が危ないっていうのはなんでだ?」
あぁ、さっきのとこか、と納得していたシーナに問いかける。
「え? あぁ、えーと・・・その、レインさんの、それが。」
それ、と言って、シーナが指差したのは、レインの背中の《鬼ヶ島》。
「《鬼ヶ島》?」
「そうです、それがモンスターに向かって放たれるところを想像したら――」
そこまで聞いて、レインは心の内で小さくため息をついた。
―同情屋か―
よくいるのだ。 モンスターの危険性を無視して、ハンターを一方的に悪者扱いする者が。 なんでも最近は、そういった者達が集まって、「ラブ・ワイバーン」などという組合までできているという。 レイン自身は、あえて無駄な狩りなどしないが、さすがに自分に危機が迫っているようならば迷わず撃つだろう。
自分の命と引き換えに、モンスター一頭を生かすようなことは絶対にしない。 腕でもイヤだ。
まぁハンターの中には、本当に命を奪うことだけに快感を覚えているような連中もいるので、同情屋を一概に否定はできないが。
「ったく、そんなこと考えてたら本当に食われるぞ。」
行くぞ、と言って、レインは荷物を担いで歩き出した。
一息おいて、シーナもその後を追って走り出した。
そして、さっきまで二人のいた場所を、黒い影が横切って行った。


「あれ、なんですか?」
「ん?」
岩間から顔を出すレインの後ろで、シーナが指差したのは、青い小型のモンスター。
昔の『恐竜』そのままの体から、オマケ程度に生えた前足と、強靭な後足。
その両方にある鋭い鉤爪は、小型だからといって馬鹿には出来ない。
ハンターたちが扱うヘタな剣よりも数段鋭利だからだ。
「ああ、ランポスだよ。」
レインはゆっくりと《鬼ヶ島》を抜いた。
「新米ハンターの練習相手みたいなもんだ。 だが、ナメてかかると痛い目にあう。」
「・・撃つんですか?」
「殺しはしねえよ。」
ここで待ってろ、と言って、レインは岩間を飛び出していった。
ギャァァ! ギャァァ!
不快な鳴き声がこだまする。
「あっ!」
声をかけたが、すでにレインは草の上を転がって、岩の向こうへと消えていた。
シーナがおそるおそる首を出す。
どぅん、と、重い銃声が響いた。
それが当たった一匹なのだろう。 青い縞模様の体が、ちょうど岩間の近くまで飛んできた。
「ひぃっ!」
岩壁に当たる衝撃で飛び散った血から身を守ろうと、反射的にシーナが盾を構える。
だが、血は降ってこなかった。
ゆっくり盾をどけて、倒れたランポスを覗き見る。
どこにも、傷はついていなかった。
「あれ・・死んで、ない・・?」
そう。
ランポスは動きこそしないものの、体に穴など開いてはおらず、生きていた。
またひとつ、銃声が響く。
首を出していると、戦っているレインの姿がよく見えた。
いや、戦っているというより、走っている、だろう。
5匹も6匹もいるランポスたちの中を縦横無尽に走り回り、油断している一匹の頭に撃つ。
ゴッというにぶい音がして、そのランポスは吹っ飛んでいく。
そして、その銃声が鳴り止まないうちに、もう一発。
―ボウガンって、こんなに連射できたっけ―
シーナも以前、街でボウガンの練習をしている人を見たことはあるが、その人は一発撃つごとに薬莢を回収して、それから撃っていたように思う。
だがレインは銃身に手を伸ばすことも無く、引き金を引くだけで撃っていた。
そしてなにより―
レインは、《鬼ヶ島》を片手だけで扱っているのだ。
―すごい・・・綺麗―
最後の一匹に向かって引き金を引き、それでこの場が静かになると、シーナは岩間をぬけ出て、息を整えていたレインに駆け寄った。
「すごいですレインさん! どうなってるんですか?」
ものすごくアバウトな質問に、レインは苦笑する。
「どうなってるって言ってもな・・・。 全部、この銃なんだよ。」
これ、と言って、右手の《鬼ヶ島》を持ち上げる。
銃口から、まだ白い煙が昇っていた。
「こいつはもともと古代の武器でな。 火山に埋まってたものを発掘して磨いたんだよ。 けど、どうやら昔の人間も、ボウガンの原理ってのは編み出してたみたいでな・・・。 既存のボウガンと、そんなに違いはなかった。」
「へぇ・・・。」
「それに問題点もあった。 原理は同じでも、使われてる素材が違う。 あんたも、直せない武器の話は聞いたことあるだろ?」
もちろん、あった。 普通に生活してる者なら、小さい頃によく聞かされた御伽噺に出てくるものだ。
「そう、これも同じく、形も変えらなければ改良もできなかった。 だから―」
レインは一瞬ニヤリと笑顔になって、十分焦らしてから、
「とりあえず要らない部分を無理矢理取り除いていった。 装飾とか、使わない弾を撃つ装置とか。」
「えぇっ!?」
シーナは、思わず声を上げた。
だが、無理も無いことなのである。
装飾は、よく見れば分かるだろう。 だが、装置自体を外すとなると、内部まで分解しなくてはならない。
なによりこのボウガンについての知識が無いのだから、もしかしたら必要な部分まで取り外してしまうかもしれない。
そうなると、この貴重な武器は使い物にならなくなるだろう。
「あ・・・じゃぁもしかして、それで失敗して、殺傷力とかがなくなったとか?」
「いや、それはまた別だ。」
レインはごそごそとポーチの中をまさぐる。
これ、と言って取り出したのは、小さな円盤状の銃弾だった。
「これは、衝撃弾っつってな。 モンスターの体には潜り込まず、ただ脳震盪を起こさせるための弾なんだ。」
「へぇ・・・。」
「俺は密猟者だからな。 なるべく、奪う命は少ない方がいい。」
呟くレインの瞳に、一瞬憂いの色が浮かんだのは気のせいか。
シーナも、レインの理想は聞いていた。
―弱肉強食に反対する気は無い。 だが、強さを求めるあまり、そのバランスを崩しているのはおかしい―
寂しそうに笑いながら言ったレインの顔が、シーナの頭から離れなかった。
赤い髪に隠されて見えないが、俯いたレインがどこか泣いているように見えて、息が詰まる。
「レインさん・・・?」
慰めの言葉をかけようと、口を開いた。
だが。
ぼたっ。
予想と違い、草原に落ちたのはレインの小さな透明の涙ではなく、黒い大きな得体の知れない液体だった。
そして同時に、強い風が吹きぬける。
「な、なんですかこれっ・・・!」
「くっ・・・まさか・・・。」
黒い染みが広がっているのは、レインたちの居る木陰から数メートル先。 風が吹いてくるのも、その方向からだった。
ぼたぼたぼたっ。
さらに、液体が落ちてくる。
「シーナ! 隠れてろ!」
言いながら、レインもロング・コートをたなびかせつつ走る。
シーナも風に耐えながら、急いでもと居た岩間へと向かう。 しかし―
どざぁぁぁぁっ!!
二人が岩間へ半分も移動しないうちに、青い草原に、全身に黒い液体をまとった黒い飛竜が降り立った。















By Mind of Hunting