+ 貴 方 に 会 え た こ と +
銀獅子様作
−序章−
11日間…それは人の生きる時間にしてみれば、
本当に僅かな時間にすぎなかった。
それでも俺は今までで一番…
いや、きっとこれから自分が生きていく中でも一番楽しかった…
そして嬉しかった時だった。
愛する人に出会えたこと…たとえもう会えないとしても…
それでもお前に会えてよかった…
自分の愛する人に、会えてよかった…
だからお前も、そう思っていて欲しい
それが…それだけが俺の願いだよ…
+ 貴 方 に 会 え た こ と +
第1話 出会い
「何考えてんだよ!クソ親父!!」
8人部屋の病室に大きな声が響く。
周りで寝ていた他の入院患者達もその声に驚いて顔を声の方に向ける。
声の主の名はクロウ、まだ19歳と若いが、名うてのハンターだ。
「がははははっ。そんなに大声出すんじゃねぇよ!」
クロウの前にいる中年の男は顔をきょろきょろと動かし、
周りにいる人達に「すいませんね」と笑顔を向け、軽く頭を下げた。
この男がクロウの父親であり、また狩りの師でもある。
「けどさぁ…俺、親父が大怪我して、もうダメかも知れないって言うから、マジで心配して来たんだぞ?
それなのになんだよ…左手が折れただけってさぁ…」
クロウは自分の顔を下に落としながらも、わずかに安堵の表情を見せている。
「骨折だけとは酷い言い方だな。骨折も十分な大怪我だぜ?」
「はぁ…そりゃそうだけどさ…村で聞いた時は、凄いことになってるみたいに言われたもんだからさぁ…」
クロウが狩りから帰ってきて話を聞いたとき、その近所のおばさんの声は震え、
もうダメかも知れないと言わんばかりな印象を受けた。
「セシルだな…あいつは昔からオーバーだからな」
父親はあご髭をいじり、笑いながら返事をする。
「まったくもって笑えねーよ…」
その父親の笑い声に、クロウは少しだけ怒るような口調になる。
クロウには父親しかおらず、母親は自分の物心がつく前にはもういなかった。
自分をここまで育ててくれたのは父親であり、唯一の肉親…
だからこそ怪我の話を聞いた時は本気で父親を心配したし、
この場所に来るまで全身の震えも止まることはなかった。
『…いなくなって欲しくない…』
これまでに何度もそう感じたことはあったが、今日ほどに思ったことはなかった。
「けどさ…マジで心配したんだぞ…俺」
これまでの怒鳴るような声とは変わり、低い声で真面目な表情をしながらクロウは言う。
「悪かったな…」
その表情と言葉に込める想いを感じてか、父親も少し申し訳なさそうな表情をしながら返事をし、クロウの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「良いって。とにかく、無事だったんだしさ。でもさ、つまずいて自分のハンマーに腕折られるってハンター失格だぜ?」
暗くなりかけた雰囲気を払拭しようと、からかう様に言ってクロウはベッドの横に置かれている備え付けの椅子に座り込む。
「ははははっ、珍しいモノブロスを倒してうかれてたのさ。」
話によると、クロウの父は珍しい白いモノブロスを討伐し、
意気揚々と家へ帰る途中で、ツタの蔓に足を引っかけ転倒。
自慢の愛鎚 『激鎚オンスロート』に腕を挟まれたらしい。
このクロウの父親も、たった一人であの悪名高いモノブロスを討伐するほどの猛者なのだ。
「でさ、これからどうするのさ? やっぱ、何日か入院しないといけないのか?」
「そうらしいな。先生が言うには、二週間くらい入院してもらって、それから経過を見ようって事らしい。
ちょうどいいから骨折以外にも色々検査してもらおうと思ってよ。骨折のことは心配すんな、ハンターは続けられるさ」
返事を聞くと、クロウはその場を立ち上がり病室を後にしようとする。
「よしっ…俺ちょっと先生のとこ行って来るよ。これからどうなるかとか、詳しく聞いてくるからさ」
「…と、言う感じですね」
「は…はぁ…」
担当の先生の長い話が終わり、必死に頭の中をまとめながら、必要なことを思い出していく。
「え〜と、取り敢えずはお金と着替えがあれば良いんですよね?」
「まぁ突き詰めればそう言うことになりますかな。」
自分の言ったことが間違いでなかったことに安心しながら、クロウはゆっくりとその場から立ち上がる。
「分かりました。ありがとうございました。」
先生に礼を言い、クロウは部屋を後にした。
「ったく…必要なことだけ言ってくれれば良いのに…」
愚痴りながら父の病室に向かう途中、廊下の角からちょうど出てきた人とぶつかってしまった。
「おわっぁ!」
「うっ、わぁ…」
クロウはなんとか体勢を立て直すことが出来たが、ぶつかってきた相手はそのままその場に倒れてしまう。
「あ…すっ、すいません」
ぶつかった相手に目を向けると、一人の少女が倒れ込んでいた病院内なので、武器こそ持っていないが身につけている物は
ハンターのそれだった。180cm近いクロウに比べればずっと小さいが年齢的には近いように感じた。
「ぁぅ…いた…」
少女は自分の頭の後ろをさすりながら、小さく口を開く。
「大丈夫か? 起きられるか?」
クロウはそっと右手を差し出して、少女の腕をつかみながらゆっくりと起こしてやる。
「あ…すみません…」
少女はそう返事をすると、体に付いた埃を両手でパタパタはたいた。
「あー、いや、ぶつかったの俺の方だしさ。悪かったな」
クロウは右手で頭をかき、苦笑いを浮かべながら言う。
「いえ…大丈夫です…それじゃ私、行くとこがありますから…」
すると少女はクロウの横を通って、ゆっくりと廊下の先を歩いていく。
クロウはその後姿を見ながら、床に落ちている一枚の紙切れに気が付いた。
「これって処方箋ってやつだよな…今の女の子が落としたのか?」
【ルーナ・クレセント】
名前欄にはそう書いてあった。
「ルーナか…珍しい名前だな。っとこんなことしてないで追いかけないと」
そして長い廊下と階段を使い、迷った挙げ句ようやく処方箋受付の窓口に辿り着いた。
そこには案の定、あたふたとバックやポケットを探っている彼女がいた。
「おーい、これ君のだろー!」
走りながら声を掛けると、こちらに気が付きパタパタと走り寄ってきた。
「ふぁ…よかった無くしたかと思った…あの、ありがとうございました」
そう言ってクロウにペコリと頭を下げて、受付にその紙を提出し、待合い席に座った。
「えっと…横、座って良いか?」
「あ、はい。どうぞ…」
そういうと少女は自分の身体を少しだけずらし、クロウの座るスペースを作る。
「わりーな。…よっと」
「……」
「ぇ…えと…なっ、なぁ、お前名前はなんていうんだ?」
何を話して良いのか解らず、クロウはとっさに思った言葉を口にした。
「えっ…私?」
「お前意外に誰がいるんだよ」
厳しいような口調のクロウに、少女は少しだけ怯えながら返事をする。
クロウは口調を厳しくしたつもりはないのだが、どうして良いのか解らない焦りがそうした口調として出てしまっていた。
「えと…ルーナです…」
クロウは既にさっきの処方箋を見て知っていたのだが、話のきっかけを作るには名前を聞くのが簡単だった。
「ルーナか…んじゃ年は?」
「18です…」
そう答えるルーナに、クロウは少しだけ驚く。
確かに自分よりも年下だろうとは思っていて実際そうだったわけだが、はっきりいって18歳には見えない。
そして何よりも印象に残るのは、その肌の白さだった。
先程ぶつかった時にも生きているような感じがしなかったが、
近くで見ると本当に生きているのかと怪しんでしまいそうな肌の色をしていた。
その白い肌や不思議な雰囲気に興味を持って今ここで話しかけている訳だが。
「ふーん…そっか。あ、俺の自己紹介もしないとな。俺、クロウってんだ。宜しくな」
「あ、はい…宜しくお願いします」
クロウが自分の自己紹介をするが、ルーナはこれといって反応を返してはくれなかった。
「あの…それで…クロウさん。私に何か用ですか?」
「えぁ…別に用があるって訳じゃないんだけど…」
特に話しかけた理由があるわけではない。
ただルーナに興味があったから話しかけたとは、口に出して言えなかった。
「あーっと…ほら、さっきぶつかっただろ? やっぱちゃんと謝っといた方が良いかなー…って…」
苦し紛れに思いつくことを口に出すが、クロウの口調はどことなくぎこちない。
「そうなんですか…別に気にしなくて良いですよ…よそ見してた私が悪いんですから…」
話ながらルーナの顔つきはどことなく沈んだような表情へと変わっていた。
その後は2人とも口を開くことはなかったが、クロウは再びルーナに向かって話しかける。
「なぁ、ルーナもハンターなんだろ?どっか怪我でもしたのか?」
そう質問しても、返事はすぐに返ってこない。しかし少しすると、ルーナはゆっくりと口を開いていく。
「確かにハンターですけど別に怪我した訳じゃないです…私、生まれたときから胸が悪くて、薬が必要なんです…」
「ぁぅ…そっか…なんか、悪いこと聞いちまったかな…」
「そんなことないですよ。本当のことですから…」
しかしルーナの表情には、何の変化も見られない。
「でも…いや、なんでもない」
変化のないルーナの表情に、クロウはもっと詮索してみたいと思った。
しかしそれ以上聞くことは、本当に悪いような気がして聞くことを止める。
「ねぇ、クロウさんは、どうして病院に来てるんですか? さっき病棟の方にいたみたいですけど…」
クロウが一人で顔を下に落としていると、今度はルーナの方が質問をしてくる。
「えぁ? 俺か? なんつーか…俺の親父が腕を骨折しちまってさ、その付き添いみたいなもんだな」
「そうなんですか…じゃあお母さんは来ないんですか?」
「お袋?お袋はいないんだ。俺が物心付く前に死んじまっててさ…」
ルーナはその言葉を聞いた瞬間、表情を暗くしてしまう。
「あ…ご、ごめんなさい…私…」
クロウが他人にこのことを話すと、今日のルーナのような反応を必ずと言って良いほどにする。
「あー、いや、気にすることねぇよ。本当のことだしさ…それに俺、お袋との記憶なんてなにもないからさ…
死んでるとか言われても、実感ねぇんだよな」
「そう…なんですか…」
笑いながらクロウは話すが、ルーナの表情は沈んだままだった。
「なんつーかな…俺も親父にその話を聞いたんだけどさ、悲しいとかって…思わなかったんだよな…」
「……」
ルーナは下を向いたままだが、しっかりとクロウの話に耳を傾けている。
「けど確かにお袋がいないって考えると、悲しいとは思う…けど俺には親父がいるしさ、
その…やっぱ今自分の前にあるものを、すっげー大切にしたいからさ…」
なぜ今日知り合ったばかりの人物に、ここまで喋っているのか…クロウはそう思いながらも、口を開いていく。
「あぁっ! わりー…なんか俺の愚痴みたいなこと話しちまったみたいで…」
慌てるクロウに対して、ルーナはゆっくりと顔を上げてクロウの方に向ける。
「…クロウさんって、優しいんですね。なんか私、クロウさんのお父さんが羨ましいな…」
「あん? なんだよ、それ…」
「私はずっと一人だったから…私がいなくなっても悲しんでくれる人なんていないから…」
「お前…何言って…」
クロウが言葉の意味を聞こうとすると、ルーナはその場から急に立ち上がる。
「ごめんなさい…薬が出来たみたい…クロウさんも、お父さんの所に行かなくて大丈夫ですか?」
「えっ…あっ! もうこんな時間なのか!?」
壁にかけられている時計に目を向けると、既に父の病室を出てからから2時間以上も経っているようだった。
「そうですよ。早く行かないと、お父さんが心配しますよ」
ルーナは小さな笑みを浮かべながら、そう言う。
「そうだな…悪かったな、なんか愚痴みたいなのにつきあわせちまって…」
「そんなこと無いですよ。私も、久しぶりに楽しかったですから」
そう言うルーナの顔は、初めて見るような笑顔で…とてもきれいだった。
クロウはその初めて見る笑顔に、少し見とれてしまっていた。
「それじゃ…失礼しますね」
そう言ってルーナは薬を受け取りにカウンターへと向かって歩いていった。
「あっ…ちょっと待った!」
クロウはその場から勢い良く立ち上がると、今までにない大きな声でルーナのことを呼び止める。
その声の大きさに驚いて、周りにいる人は勿論、ロビーで待っている人達もクロウの方に目を向ける。
「えっ…なんですか?」
「……なぁ、もしよかったら…また今度話をしないか?」
クロウは何故そんなことを言ったのか、自分でも解らなかった。
もう少し、目の前にいるルーナと話がしたい…ただそれだけだった。
「私と…ですか?」
ルーナは少し戸惑ったような顔をした。クロウの問いに少しだけ考えてから返事をする。
「良いですよ。私はいつも大体今日と同じ時間に来ますから。」
「そかっ、んじゃー」
クロウはルーナの返事に、嬉しそうな表情をしながら言葉を返す。
しかしルーナは、どこか困惑したような表情を浮かべていた。
「どうしたんだ? その…やっぱ…嫌か?」
「あ…うぅん…そんなことないです。その…クロウさんのお父さんも、早く良くなるといいですね」
ルーナの表情に少し不安になって聞くクロウに、ルーナは顔を上げ、先程と変わらぬ声で返事をする。
「あぁ、有難うな。 それじゃまたな」
ルーナは薬を受け取り、出口へと歩いていく。クロウはは出口とは反対の病棟へと向かって走り出していた。
途中で看護婦に何度も注意されながらも、クロウの心はどこか踊っていた。
…俺はこの時、まだ何も知らなかった…
病気のこともルーナがこの先どうなるかも…
何も…知らなかったんだ…
第2話 日常
それから数日間、クロウは父の病室に行ったあとルーナと話をした。
ルーナは毎日通院しているわけではないらしく、待っていても来ない日もあった。
そしてその日もクロウはルーナと話をした。
「…でさ、そいつがまた余計なことするもんだから、ランポスに尻を噛まれてやがんの」
「あはは、そうなんですか」
少し前に知り合った関係とは思えないほどの2人の笑い声がロビーに響く。
会ったばかりの頃は2人とも何を話して良いのか解らず沈黙が続いた。
しかしクロウが少し口を開くと、その口から出る言葉はとめどなく流れ続ける。
「ったく、笑っちまうよな」
その日あったこと、昔あったことをクロウが面白おかしく話す。
するとルーナはその話に耳を傾け、時々相槌と笑い声で反応を示してくれた。
話は狩りのことばかりだが他に話すことがあるわけでもなく、クロウはただただ思いつくままを口にしていく。
「ふふふっ。そうですね」
嫌な顔をひとつせず、笑いながら自分の話を聞くルーナにクロウは少し安堵していた。
「なぁ…その…もしよかったら明日一緒に狩りに行かないか?」
唐突に、クロウは少し恥ずかしそうな顔をしてルーナに言った。
「え…私とですか?」
突然の事にルーナは少し戸惑っていた。
「その…いやならいいんだ。病気のこともあるし…」
「あ…うぅん…そんなことないです。ただ人に誘われたの初めてだから…」
クロウはその言葉に、これまでのルーナの生活を僅かに思い浮かべることが出来た。
ルーナ自信に病気の話を詳しく聞いたことはないが、それでも昔から病気をしていたということだけは解る。
(…ルーナの奴…あんまり友達とかもいなさそうだしな…)
クロウがその場で黙り込んでしまうと、ルーナが困惑した表情で口を開く。
「クロウさん? どうしました、黙っちゃって…私、何か変なこと言っちゃいましたか?」
自分の言った言葉に非があったのではないかと、ルーナは沈んだ表情をしていた。
「ぇあ? あぁ、別に…ただルーナって変わってるなーって思ってさ」
するとクロウはルーナに顔を近づけ、冗談交じりに笑いながらそう一言口にする。
そうなんだ、と話をはぐらかす事も考えたが、それは逆にルーナをへこませてしまうかと思った。
だからクロウは、わざと冗談交じりで思ったままを口にする。
「ぅっ…それは、言わないで下さいよ…」
その言葉にルーナは少しだけ沈んだような表情をしていたが、顔つきと言葉は僅かに笑っているようだった。
そして待ち合わせ場所と時間を決めた。
「それじゃ、また明日な」
「あ…はい…また明日」
「おう」
小さなルーナの声に対して、クロウは大きな声で返事を返しながらロビーを後にした。
新しい…当たり前の日常だと思ってた。
親父の見舞いのついでに、ルーナと話す…
ルーナと一緒に狩りに行く…
たとえ親父が退院したとしても、変わらないことだと思ってた。
楽しかった…理由なんて解らない。
ただルーナと過ごす時間は楽しくて、
たとえ同じことの繰り返しでも苦痛ではなかった。
それがどんなに僅かな時間であっても…
ありきたりの日常会話を交わすだけなのに、それだけでも楽しかった。
だからそれが、ずっと続くと思ってた…
そう…これからもずっと…
第3話 戸惑い
「えっと…これがパジャマと、その替えのやつな…」
翌日の早朝、クロウは父親に頼まれていた必要な物を持って病院へとやってきていた。
「おう、すまねえなクロウ」
「ん、良いって。あ、服って持ってきたバッグの中に入れっぱなしで構わないか?」
病室にはタンスのような物は見あたらなかった。
「取り敢えずベットの下にでもつっこんどいてくれ」
「手の届くとこじゃなくて大丈夫か?」
心配そうに聞くクロウに対して、父親は笑いながら返事をする。
「おいおい、俺は全身動かない重症患者じゃないんだぜ?」
「…そっか。そうだよな、わり」
クロウは苦笑いを浮かべ、頭を右手でかきながら言う。
「じゃあ俺は行くよ?人と待ち合わせしてるんだ」
「何だ?彼女か?」
「ばっ! な、何言ってんだよ、いきなり」
突然父親に言われた言葉に驚き、大きな声をあげてしまう。
「なんだ…違うのか?」
「ちっ、ちげーよ。そんなわけねーだろ! ったく…」
クロウは顔を真っ赤にして、大きな声を上げて否定する。
「そうか…お前最近来てもすぐ帰るし、なんか…顔が嬉しそうだったからな」
「ぇぅ…俺、そんな顔してたのか?」
自分の両手を顔にぺたぺたと当て、顔を調べるように触れる。
「おう。特に最近は嬉しそうだから、恋人でも出来たのかと思ってたのによ」
「…恋人とか、そういうのじゃないよ。なんつーかな…新しいダチが出来たんだよ」
「本当にただのダチか?」
「ほ、本当だよ…ったく疑り深かいな…」
「そうかそうか、今度俺のとこにもつれて来いよ」
父親は確実に、自分に恋人がいるものだと決め付けているようだった。
「…これ以上言っても、無駄なような気がする…」
クロウはそう小さくつぶやくと、そのまま病室を後にする。
「ったく…恋人なんかじゃないっての…」
ルーナと会ってから、今日でもう10日目だ。
毎日のようにルーナと日常会話を交わす…確かにそれは、普通に友人と話すことよりもずっと楽しい。
だからこそルーナに会う前に楽しそうな顔になってしまうのは、仕方がないかも…とは思う。
けどそれを恋人がいると勘違いされるほどに自分の顔が浮かれていたのかと思うと、少しばかりの戸惑いを感じてしまう。
「俺…そんなに楽しそうな顔してんのかな…」
ふと横を向けると病室のガラスが目に止まり、それに自分の顔を映して見る。
「…いつもと変わんねぇよな…」
そこには見慣れている自分の顔が映っていた。
自分だからこそ解らないことなのかも知れないが、クロウにはいつも通りにしか見えなかった。
「けど…恋人ってのはいくらなんでもないよな…」
その一言を口にしながら、これから会いに行くルーナの顔を思い浮かべる。
(ルーナが…恋人なわけ…)
心の中でルーナを思い浮かべながら、さっき父親に言われた言葉を重ね合わせる。
クロウ自身はそれを完全には否定しきれず思考が止まってしまう。
『ルーナが…恋人…ルーナが…こい…』
「うっあ! 何考えてんだ俺は! そりゃ…確かに色白だし、小さいし、可愛いとは思うけど…ってちが!」
クロウは何人もの視線に気がつき、額に変な汗をかきながら、後ずさりをするように病院を後にした。
第4話 涙
(ちょっと早く来すぎたかな)
約束の時間は9時のはずだ。広場の時計はまだ8時を少し回った所だった。
そこらで時間を潰そうかと思ったが、既に噴水の縁に腰掛けてるルーナを見つけた。
「もう来てたんだ、何ならもっと早くこればよかったな」
平静を装うが、いざ話しかけると、先ほどのことが頭から離れず、体が固くなってしまう。
さっきまであった緊張がより強くなり、まるで自分の身体を縛り付けているような感じがしていた。
「あ、クロウさんおはようございます」
ルーナも近づいてくるクロウに気が付いた。
それから2人は話ながらギルドへ向け歩き、あれこれ悩んだ末、ゲネポス討伐に沼地へ行くことにした。
沼地へ向かう馬車の中には2人以外に、4人の若い男達が乗っていた。
話を聞く限りでは、どうやら始めてのリオレイア討伐らしい。
馬車の中、ルーナは時折コホコホと小さな咳をしていた。クロウには何故かその咳がやけに耳に残った。
大丈夫か? とクロウがルーナに問いかけようとしたちょうどその時、目的地に着いた馬車が止まった。
同乗していた4人はもう少し奥地まで行くとのことで、そこで別れた。
「クロウさんって、誰かと話すの好きなんですね」
馬車から降り、少ししてルーナが口を開いた。
「確かにそうかも知れないな。でも、なんで俺が話すの好きだって思うんだ?」
「だって人と話してるときのクロウさんの顔、とっても楽しそうなんだもの」
「そうかなぁ」
「そうですよ。」
そんなやりとりをしているうちにキャンプに着いてた。
持ち物の確認をして早速狩りに出かけた。クロウの武器は黒刀と呼ばれる巨大な虫の甲殻などを加工した大剣だ。
一方のルーナは双剣リュウノツガイ。どちらの武器もよく使い込まれている。
2人はエリアを転々し、依頼のゲネポスを次々と屠っていった。
そしてクロウの大剣が一閃し2匹のゲネポスが四つにわかれた。
「これで12匹」
「私は18匹です」
「2人あわせて30匹だな」
クロウの思っていたよりルーナの腕は遙かに優れていた。そこいらの中年ハンターなどより余程強い。
素早く、そしてあの細い体の何処にそんな力があるのかと思えるほど鋭い。
小回りの利く双剣と言うことを差し引いても討伐した数で負けるとは思っていなかった。
そしてその後、キャンプに戻る途中にそれは起こった。
「ちょっと一休みしていくか」
クロウの言葉に、前を歩いていたルーナが後ろを振り向き、クロウが大きな倒木に座ろうとしたその時、
2人からそう離れていないどこかから、人の悲鳴と火竜の咆吼が響いた
「グォォォォォォォォ!!」 「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「な、何だ!?」
「誰かが襲われているんです!あの咆吼はリオレイア…もしかしたら襲われているのは…」
「さっきの連中か!」
クロウの脳裏に同じ馬車に乗ってきた4人の顔が浮かぶ。
「行こう!助けなくっちゃ!!」
「はい!」
言うと同時に駆けだしたクロウをルーナが追いかけた。
「こ、これは…」
そのエリアに着いたクロウの目に最初に飛び込んだもの…それはまだ煙を上げ燻っている2つの死体、
元は1人の男であっただろう2つの肉の塊、そしてクロウを睨みつけているリオレイアが銜えている見覚えのある男。
男は力無くレイアの口からぶら下がり、生きているか死んでいるのかさえ分からない。
「や、野郎…やりやがったなっ…」
過去に面識はなかったにしろ、同じ馬車に乗ってきた人間を殺されて、クロウは怒りをあらわにする。
「クロウさん気を付けてください。来ますよ…」
そして銜えていた男を放棄したリオレイアが2度目の雄叫びを上げる。
裂帛の咆吼が、ビリビリと肌に刺激として襲う。
その直後、突進してきたリオレイアを紙一重でかわしたクロウが、首筋に抜き打ちで大剣を振り下ろした。
「ガ、ガアッ」
堅い鱗を持つリオレイアの首は一撃で切り落とされることはないがその衝撃で動きが鈍る。
その両足をルーナの双剣が切り裂く。
数分の激闘。
そしてルーナが双剣が閃きレイアの軟らかい腹部を切り裂いた。
耐えきれず、そのまま倒れ込んだリオレイアのちょうど目と目の間に、クロウの黒刃が打ち込まれた。
数度の痙攣の後リオレイアの意識は闇の中へ霧散した。
「う、うぅ…」
2人が、唯一まだ生きている可能性のある銜えられていた男に駆け寄ると、男は微かに呻いて目を開けた。
「…ぁ、あんた達か…あ、あいつ等は?他の3人は…?」
男は自分の怪我のことも考えず起きあがろうとする。
「他の3人は…その…」
真実を伝えていいかどうか、クロウは数瞬迷った。
そのクロウの様子と、悲しそうな顔を見た男は3人が死んだと言うことを悟ったらしい。
「そうか…みんな死んじまったのか……くそっ……何でだよ…何で………」
男の目から涙がこぼれる。男は最後に大きく息を吐き、そしてそのまま2度と息を吸うことはなった。
「おい!しっかりしろ!死ぬな!!頼むから…死なないでくれ…」
「……クロウさん…もう…死んでます…」
ルーナがそっとクロウの肩を抱いた。
クロウの男を揺さぶるその手の上に涙がこぼれた。
ルーナもクロウも泣いていた。
第5話 苦しみ
その後、4人を埋葬した2人はキャンプに戻っていた。
予定より遅くなったため、その日最後の街への馬車が行ってしまったからだ。
「ルーナ…」
「なんですか?」
あれからずっとうつむいたままのルーナに声を掛けた。
「…その…ゴメンな、せっかく来たのにこんな事になって…」
「クロウさんのせいじゃないですよ」
うつむいていたルーナが顔を上げて返事をした。その顔がいつもより心なしか青白い様に思えた。
「ルーナ…大丈夫か?」
クロウは下を向いているルーナの顔に自分の右手を当てる。
そして心配そうな表情をしながら、顔をルーナの前へと近づけていく。
どうしてかは解らないが、クロウは無意識にルーナの身体に触れていた。
「ぁ、あの…クロウさん……」
ルーナの頬が、急速に赤くなっていくのが解る。
白い肌のせいもあってか、まるで血のように赤く見えた。
「あっ! わっ、わりー…」
そんなルーナの表情を目の当たりにしてクロウはとっさに我に返りルーナの顔に触れていた手を離す。
「ぁ…い、いえ…私…大丈夫ですから…」
ルーナは顔を横に向けながら、恥ずかしそうに言う。
「そっ、そっか…なら、良いんだ」
クロウもまたルーナと同じように顔を赤らめながら言う。
「……」
「……」
その後暫くは2人とも顔を合わせることが出来ず、口を開くことも出来なかった。
「えっと…その…」
「……」
クロウが何かを話そうと口を開くが、話題は何一つ出てこない。
意味のない、似たような言葉ばかりしか、頭には思い浮かんでこなかった。
「お、俺、夕飯に何か採って来るよ」
ようやくそれだけ言うとあたふたと逃げるように森へと走り出した。
「俺、なにしてんだよ…」
十分ほど辺りを物色して、食べられるキノコや、狩ったモスの肉を手にクロウはキャンプに戻った。
「時間かかっちゃったな…」
しかしその言葉に返事は戻ってこなかった。
「…っぁ…っ…」
代わりに聞こえてきたのはとても低くて苦しそうなルーナのうめき声。
「…ルーナ?」
その声を聞くと、異常なまでに胸の鼓動が高鳴っていく。
先ほどルーナと一緒にいた時に感じた喜びを感じるような胸の高鳴りとは違い、とても不快な高鳴りだった。
濃い霧の中、燃えている火の側に目を凝らす、するとそこには、自分の胸を両手で必死に押さえ込みながら、
全身を丸まらせているルーナがいた。手に持っていた物を放り出し、クロウはルーナに駆け寄った。
「クロウさん? う゛っぁ…はあっ…はぁっ」
「ルーナ!大丈夫か!」
クロウはルーナに近づき、丸まっているルーナの背中に手を触れる。
全身は小刻みに震えていて、少し触れるだけでもそれが解る。
顔色は真っ青で、信じられないほど大量の汗を流していた。
「ルーナ!しっかりしろって!」
慌てて自分の服の袖でルーナの額に流れる汗を拭き取る。
しかし流れ出る汗は止まることなく、いくら拭いても意味がなかった。
「バック…に…薬が…はぁっ…青い蓋の…うぁっ」
「しっかりしろって! ちょっと待ってろ、今持ってくるからな」
ルーナのバックを開けると中に幾つかの瓶があった。
その中からルーナの言った青い蓋の瓶を取り出した。
「ルーナ!これか!」
「はっ…っ…っ…ぁ…」
ルーナは苦しみながら微かに頷いた。
クロウは急いで蓋を開けルーナに飲ませた。
「…んく……はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
暫くすると薬の効果なのか、ルーナの息遣いがさっきよりも楽になっていくような感じがした。
「ルーナ……」
クロウは落ち着いてきたルーナを横たえ、毛布を掛けてやった。
そしてルーナの方に顔を向けると、さっきまでの息苦しさを感じさせるような素振りはもう無かった。
(良かった…良かった…)
クロウの心の中は、そのことだけしか考えられなかった。
苦しむルーナが、助かって良かった…
涙が出そうになってくるが、クロウは必死にそれを押さえていた。
暫くしてルーナの息遣いは完全に落ち着きを取り戻し、寝顔も安らいでいるようだった。
そして身体の方に目を向けると、左手だけが毛布から出ている。
中に入れようとルーナの左手に手をかけると、ルーナはクロウの手を強く握り返してきた。
「ルーナ?」
クロウは、ルーナが目を覚ましたのかと思い、ルーナの顔に目を向けるが、
そこには先程と同じように、小さな寝息を立てて眠るルーナがいた。
クロウは小さく笑顔を見せ、自分の手を握ってくるルーナの手を力強く握り返してやる。
「んっ…クロウ…さん…」
するとルーナの小さな寝言が聞こえてくる。
「…ルーナ…ここにいるから、安心しろよな…」
クロウはそう小さく言うと、再びルーナの手を強く握ってやる。
その夜はルーナの握る自分の手を離すことなく、クロウはずっと握ってやっていた。
そしてその夜、クロウは、
自分がルーナを愛しているとはっきり気が付いた。
ルーナが苦しんでる時に、何も出来ないのは凄く辛かった…
けれど…自分に出来ることならば、何でもしてやりたいと思った。
自分に守れるのならば、必ず守りたいと思った。
…大好きで、大切な人だと思ったから…
第6話 星夜
「ぅ…う、ん…」
焚き火の側に簡単にセットされたベットの上でルーナは目を覚ました。
先程までにあった苦しみのせいか、僅かに胸がズキズキと痛む。
「あれ…私…えっと…」
ルーナはベッドに横になったまま、これまでにあったことを思い出そうとする。
「確か…私…発作を起こして…えっと…そうだクロウさんが!」
クロウが戻ってきたことを思い出して、ゆっくり体を起こす。
そして顔を横に向けるとそこには自分の方を向いて、座ったまま眠っているクロウがいた。
同時にルーナは左手に温もりを感じて自分の手に目を向ける。
「…クロウさん」
そこにはクロウの手が自分の左手をきつく握りしめていた。
「夢じゃ…なかったんですね…」
とても苦しくて、自分に何が起こっているかなんて何も解らなかった。
それでもひとつだけ解っていたのは、クロウが側にいてくれたことだけ…
夢だと思っていたけれど、それは夢じゃなかった。
クロウはずっと自分の側にいて、ずっと自分の手を握っていてくれた。
「クロウさん…」
嬉しかった…言葉にならないくらいに…
ルーナは自分の手を握るクロウの手と一緒に、自分の頬へと持っていく。
「ぅ…ん」
「クロウさん…」
その動きにクロウは少しだけ口元を緩ませたが、目を覚ますことはなかった
「温かい…クロウさんの手…」
クロウの手の甲を自分の頬に当てながら、ルーナはそうつぶやく。
「クロウさん…ありがとう…」
そういうとルーナはゆっくりと自分の目の前に手をおろし、握り合う手の上から右手をかぶせるように置く。
そしてそれを、ルーナはただ強く握り締め続けていた。
「すぅ…すぅ…ぅん…ぅぅん…」
クロウはずっと寝息を立てて眠り、ルーナはそんなクロウの表情を見ながら手を握り締めた。
「……」
ただこうして、クロウの手を握り締めていることが嬉しかった。
クロウに触れ、温かな体温を感じられる…それだけで嬉しかった。
暫くしてルーナはそう小さくつぶやきながら、眠るクロウの表情に触れながら言う。
「ぅ…んん…」
するとクロウは僅かに声を上げるが、すぐに寝息へと変わってしまう。
ルーナはそんなクロウの表情を見て微笑みながら、再びクロウの頬に触れる。
「…クロウさん…大好き、です…」
小さく、たとえ起きていたとしても、聞こえないほどの小声でルーナはつぶやく。
「すぅ…すぅ…」
クロウはそんなルーナの声には何の反応をすることもなく、ただ眠りについているだけだった。
「……」
ルーナはそんなクロウの表情を見つめ、笑顔を絶やすことはなかった。
「う、ぅうん…はれ…俺…」
ルーナの側に座り込んだまま眠ってしまったクロウは目を覚まし、眼をこすりながら顔をゆっくりをあげる。
「やべぇ…寝ちまってたんだ…ルーナ?」
まだぼやける視界のまま、クロウはルーナの方へと目を向ける。
「…クロウさん」
そこには自分の方を向いて微笑む、ルーナの姿があった。
「ル、ルーナ?! 身体は大丈夫なのか?」
ルーナの顔を見るなりクロウは驚いたような表情をしながら、
ルーナの両肩に自分の手を置いて、身体をゆするようにしながら聞く。
「あ…はい。もう大丈夫みたいです」
突然のクロウの行動に驚きながらも、ルーナははっきりとした口調で返事をする。
「本当か? どっか、身体の痛いところとかないか?」
ルーナがそういってもクロウは心配そうな表情を消すことなく、ルーナを気遣う言葉を繰り返す。
「はい…もう平気です。ちょっとだけ胸がズキズキするんですけど…これくらいだったら全然大丈夫だと思います」
「そっか…良かった…」
その言葉にクロウは安堵の表情を浮かべ、ルーナの肩に自分の顔を落とす。
そしてそのまま自分の両腕をルーナの身体にまわすと、ゆっくりと弱い力で抱きしめていく。
「ク、クロウさん?」
クロウが自分にすることに、ルーナは再び驚きの声と表情をする。しかし嫌がるような素振りは、決してなかった。
「良かった…本当に良かった…」
少しだけ震えるような声でクロウがそう言うと、ルーナは自分の身体を抱きとめる腕が強くなっていくのが解る。
「…クロウさん」
「苦しむお前見て、死んじまうんじゃないかって本気で思って…俺…」
だんだんとクロウの震える声が、涙声へと変わっていく。
ルーナが苦しんでいる間中、クロウはそのことばかりが頭の中を巡っていた。
もしルーナが死んだら…自分の前からいなくなってしまったら…
最悪なことばかりを考えてはいけないと思っても、その思いが消えることはなかった。
だからこうして再びルーナに触れて、会話が出来ること…クロウには喜びの他なかった。
大好きな…ルーナだから…
ルーナにはクロウの表情を見ることは出来なかったが、クロウが泣いていることははっきりと解った。
「クロウさん、私…クロウさんのことが好きです…大好きです。本当は言うつもりなんてなかった…けど…
言わなきゃ絶対…絶対後悔しそうな気がしたから…」
クロウは自分から離れようとするルーナを、自分の両手で抱き止める。
「クロウさん?」
「ルーナ…嘘じゃないよな…その言葉、嘘じゃないよな?」
ルーナが嘘を言うわけがない事ぐらいクロウは分かっていた。しかし、それを確かめずに入られなかった。
「当たり前ですよ…こんなところで、嘘なんて言えません」
そして、ルーナの返事を聞いたクロウも自分の本当の気持ちを口にした。
「ルーナ、俺もお前のことが好きだよ」
「 !…クロウさん」
ルーナの声は喜びと驚きに満ちあふれていた。
「クロウさん…」
自分も何か言わなければと思っているのに、ルーナは言葉が出ない。
そんなルーナとは裏腹に、クロウは同じ言葉を繰り返し伝えてきた。
「ルーナのことが好きだよ」
何か言葉を考える必要なんて無い。
『好き』
…その一言を伝えるだけで十分だった。
「ありがとう。クロウさん」
クロウの言ってくれた言葉に、ルーナは一言だけ口にした。
「ありがとうって、言うことじゃないって…」
「そうかな…でも…ありがとう、クロウさん…」
これはあくまでも一時的な薬の効果であって、ルーナの病気が良くなったわけではないことは解っている。
それに今回のルーナの病状を見て、簡単に治るようなものではないことも否が応でも理解することが出来た。
それでもクロウは、嬉しくてたまらなかった。
今こうして大好きなルーナが目の前で息をしていて、身体に触れると生命の鼓動を感じる…
そして自分と会話を交してくれている…それだけのことでもクロウは嬉しかった。
いつの間にか自分の胸の中で眠ってしまったルーナの手を、クロウは朝まで握り締めてやっていた。
自分のことを好きだと言ってくれた…
俺は嬉しくてたまらなかった…
本当に嬉しかった…
自分はルーナのことが好きで
ルーナも自分のことを好きだと言ってくれた…
一番ルーナの近くに寄れたこと…
それは最初で最後…
しかし決して忘れられない
一番にルーナを感じた唯一の瞬間だった…
第7話 生命
「そろそろ時間かな、忘れ物はないよな?」
次の日の朝、クロウとルーナは街へ帰るために、キャンプの荷物をまとめていた。
「ぇと…忘れ物は…はい、大丈夫です」
まだ馬車が来るまで時間がある。朝食のために、串に刺して焼いているモスの肉やキノコのいい匂いが
風に乗って2人まで届いてくる。
「もう焼けてるんじゃないか? ほら」
クロウは肉を焼いている串の1つをルーナにわたした。
「ありがとうございます。クロウさん」
ルーナはそれを受け取ってふうふうと息を吹いて冷ましている。
肉が食べられるくらいまで冷め、ルーナが最初の一口を口にしたその時、
2人の上を大きな影が通りさった。
「…リオレウス…」
どちらからとも無く声が漏れる。 レウスは2人の上を通り過ぎ、ここから少し離れたエリアに降り立った様だ。
倒せないことはないが、わざわざ相手にするような飛竜ではない。
出来ることならこちらに気づいて欲しくない。クロウはレウスの様子を見に行こうと考えた。
「ここで待っててくれ、様子を見てくる」
そう言ってクロウは愛刀を背負った。
「私も行きます」
クロウは立ち上がろうとしたルーナの肩を軽く押さえ、再び座らせた。
「大丈夫だ。ただ様子を見に行くだけだから、それに一人の方が気づかれにくいだろ?」
「でも…」
「5分で戻ってくる」
まだなにか言おうとしたルーナの言葉を遮ってクロウは言い、レウスの降下したエリアに向かって走り出した。
クロウはすぐにレウスを見つけた。しかしそこにいたのはレウスだけではなかった。
レウスの隣には地に伏しているリオレイアの姿があった。
しかしリオレイアは生きてはいなかった。
昨日この場所で、レイアが4人の男を殺し、クロウがレイアを殺したのだ。
「ぐぅぅぅぅ…」
レウスの鳴き声はいつも聞いている恐ろしい咆吼ではなく、今まで聞いたことのない、とても悲痛な唸りだった。
レウスは、クロウの黒刀が作ったレイアの頭の傷を何回も舐めた。
深い悲しみを湛えたその双眸で自分の伴侶だったものを見つめ、時折その前足でレイアを揺すっていた。
「……」
余りに悲痛な光景に、クロウは静かにその場を去っていた。
「あ、クロウさん、大丈夫でしたか」
心配していたのだろう。クロウを見つけたルーナの顔が嬉しそうにほころんだ。
「あぁ、大丈夫だよ。こっちには来ないと思う…」
嬉しそうなルーナとは対照的に、クロウはどこか沈んだ顔をしていた。
「クロウさん、何かあったんですか?」
その顔つきに気づいたルーナが、心配そうにクロウの顔をのぞき込んだ。
「…何でもないよ。走ってきて疲れただけだ」
そう言ってクロウは笑って見せた。
「それならいいんですけど…」
「もうすぐ馬車が来る時間だな。よし、そろそろ行くか」
クロウはルーナに心配を掛けまいと明るい調子でそう言った。
「なぁ、ルーナお前一人で暮らしてるのか?」
帰りの馬車の中、クロウは突然ルーナに話しかけた。
「はい。そうですけど、どうしてですか?」
「…その…もしよかったら今日は家に来ないか?」
クロウは少しだけ恥ずかしそうにそうに言った。
「えっ…」
1人の時にルーナが発作を起こしたらと言う心配もあったが、何よりクロウ自身がそうしたかった。
「俺の家は結構広いし、親父が入院してるから今は俺1人だし、もしよかったらって思ったんだけど…」
ルーナの様子をうかがいながらクロウが話しているとルーナが嬉しそうに返事をした。
「クロウさんがいいって言うなら、行ってみたいです」
「そっか、じゃあ決まりだな!」
ルーナの返事にクロウの表情も明るく、そして嬉しそうになっていく。
「はい」
そんなクロウにつられて、ルーナも笑顔になっていった。
ルーナと2人きりでいられる…
今日はずっと一緒にいられる…
クロウはそう思っていた。
そしてこれからもずっと、ルーナといられると思っていた。
けれど、終わりはすぐにやってきた…
どんなことも、永遠には続かない…
…そう…終わりが…やってきたんだ…
第8話 祈り
「うーん…なんか落ち着かないな…」
クロウは夕食の買い物客でごった返す市場にいた。
そう言うクロウも夕食の材料を買うためにここまでやって来たのだ。
今までクロウはこんな所へきたことはなかった。普段の食事は、狩りのついでに採ってきた野草や
干し肉などで簡単にすませていたが、ルーナがいる今日はそういうわけには行かない。
あれこれ買い込んで家に着く頃には辺りが暗くなりかけていた。
「ごめん、遅くなっちゃったな」
クロウが家に着くと防具を外し、部屋着になったルーナが待っていた。
「あ、クロウさん遅かったですね。じゃあ直ぐに作りますから待ってて下さいね」
ルーナはクロウから買い物かごを受け取り、台所へとむかった。
暫くして、テーブルは美味しそうな料理の皿で埋め尽くされていた。
「凄いな、これみんな1人で作ったのか?」
椅子を引きながらクロウが言った。
「はい、でも少し張り切りすぎちゃって…こんなにたくさん2人で食べ切れませんね」
照れくさそうにルーナはそう言ったが、30分もした頃にはテーブルいっぱいの料理は、全てクロウの腹に収まっていた。
「あ〜うまかった。ルーナって料理上手いんだな」
椅子の背にもたれかかり、大きくのびをしながらクロウが言った。
「よかった、口に合わなかったらどうしようかと思った」
お腹いっぱい食べて幸せそうなクロウを見ているルーナもまた幸せそうだった。
すると突然クロウが立ち上がった。
「やばっ! 刀を研ぎに出すの忘れてた!」
骨系の重さと威力で叩ききる様な大剣には必要ないが、鉄刀やクロウの黒刀など、
切れ味を重要とする大剣は、その都度こまめに職人に研いでもらわないと以外と早く駄目になってしまう。
「早く行かないとお店が閉まっちゃいますよ」
慌てるクロウを見て、ルーナはくすくす笑っていた。
「ごめん! 直ぐ戻ってくるから!」
「行ってらっしゃい。私は夕ご飯の片付けしてますね」
クロウは黒刀を背負い、ドアを破る勢いで武器屋へと走っていった。
武器屋からの帰り道を、クロウは走って家へと向かっていた。
「くそ〜 あの妖怪ジジィ、急いでるときに限って説教垂れやがって…」
『剣の使い方がなっとらん、ワシが精魂込めて作った剣を棒きれのように扱いおって。大体最近の若い者は…』
永遠と続くかに思われた御隠居の説教のせいで、思っていたより遙かに時間がかかってしまった。
「ただいま〜 ゴメンな、御隠居に説教喰らっちゃってさ…」
しかしそのクロウの声に返事はなかった。
「ルーナ?」
前と同じ、とても不快な胸の高鳴り…
台所のドアを開けると、そこには二度と見たくないと思っていた光景が広がっていた。
「かっは…うあ…ああぁぁあああぁぁぁあっ!」
床にうずくまり、胸を押さえながら叫び苦しむルーナの姿。
「ルーナ!」
クロウは割れた皿を踏まないように避けながら、部屋中に響く声の方へ駆け寄る。
クロウはルーナの姿に、その場から一歩距離を取ってしまう。
今までに見たことのないような苦悶の表情と、口からはおびただしい唾液を流しながら大きな声を上げ続ける。
全身は目に見えて解るほど震え、服は全身から流れ出る冷や汗でびしょ濡れのようにも見えた。
「はっ…ぅっあ…ふぅっあ…くっあ…ク…ロウ…さん」
ルーナに呼ばれてクロウは我に返った。
「ルーナ、薬はあるのか!?」
ルーナは何かを言おうと口を開くが声にならない。ようやく首を左右に振ってクロウに薬がないことを伝えた。
「 っ! 待ってろ! 病院まで行って来る!」
そう言ったクロウの服の裾をルーナが弱々しく掴んだ。
「行かな…いで…一人……しない…で…」
「 っ…ルーナ…」
クロウはルーナの言葉を聞き入れ、取り敢えずルーナをベットまで運んだ。
「はっ…ふぅっあ…くっあ…ぅぁ…」
本当は苦しむルーナを病院まで連れて行きたかった。けれど今、ルーナを下手に動かしたらいけない
ということも目の前の状況を前にすれば嫌でも解る。
そして自分には、祈るほか何もすることが出来ないとも解っていた…
「ルーナっ…くっ…」
クロウの体は、絶望的な思いと何も出来ない自分への悔しさで震えていた。
「ちっく…しょ…ちくしょう…」
そして罪悪感も同時に感じていた。もしかしたら、自分のせいでルーナはあそこまで苦しんでいるのかも知れない。
自分が狩りになんて誘わなければ…家になんてよばなければ…ルーナの家なら薬もあったのではないか?
「…ルーナ」
クロウはルーナの寝ているベットの横に座り、ルーナが落ち着くのを待っていた。
「くそっ…」
身体の動きは落ち着いても、胸の中にある気持ちは少しも消えることがなく、クロウは
繰り返しそう呟いていた。
何分…何時間たったのか分からない
クロウはルーナの横に座り続けていた。
今はルーナもだいぶ落ち着いてきた。
「大丈夫だよな…絶対に…」
考えてもみれば、自分はルーナの病状のことなど何も知らない。
どんな病気で、どんな具合で、今後はどうなるか…何一つとして知らなかった。
「絶対…大丈夫だよな…」
知っていたからといって、何かが変わるわけじゃない。
けれどそのことを知っていれば、もっとルーナに別のことがしてやれたかも知れない。
もしかしたら、こんなことにはならなかったかも知れない。
そう思うと、自分のことが許せなかった。
「…くそっ…」
クロウは右手に拳をつくり、血が出るのではないかと思うほどにきつく握り締めていた。
そして、それから暫くしてルーナが目を覚ました。
「…ルーナ?」
「ぁ…クロ…ぅ…さん…」
クロウの呼びかけにルーナは弱々しく返事をしてくれた。
「大丈夫か…ルーナ?」
そこにはベットに横たわり、衰弱しきっているルーナがいた。
…見てはいられない…
クロウはルーナを見てそう感じていた。
いつも見ていたルーナの姿はどこにもない…まさに『病人』と言える姿だった。
「…はぃ…ちょっと苦しいですけど…さっきに比べれば凄く楽になりました」
そう言ってルーナは、辛そうな表情の中に笑顔を作る。
その笑顔は初めてあったときに見せた、あのとても綺麗な笑顔だった。
「ごめんなさい…クロウさん、せっかく呼んでくれたのにこんなことになっちゃって…」
「気にすんなよ。機会だったら、いくらでもあるしさ…」
必死に元気に振舞おうとしても、胸の思いまではどうしようもない。
クロウの声には元気がなく、明らかに無理をしていることは明白だった。
「…クロウさん…無理、しないで…」
「あっ……」
ルーナの一言でクロウは口を閉じてしまう。部屋が再び静かになった。
「ごめんなさい…クロウさん…」
しかし少しすると、ルーナはクロウの方を向いていった。
「何言ってんだよ…お前は悪いことなんてしてないよ…」
クロウの返事にルーナは少し顔を背け話し始めた。
「私ね、分かってたんです…自分がどうなるかって…」
「……」
クロウはルーナの話を黙って聞いていた。
「私は…死ぬんだって…もぅずっと前から…」
言って欲しくない一言だった。その一言が、クロウの胸に重く圧し掛かる。
「でも…怖いとか、思ったりしなかったんです…むしろ嬉しいとも思った…私は死ねるんだって思ったら…」
「…何でだよ」
クロウは目から出そうになる涙を必死にこらえながら、ルーナの話しに耳を傾ける。
「死にたかった…励ましててくれる人もいない…毎日薬を飲んで、注射をして…
発作に怯えるだけの生活はもう嫌だったから…」
ルーナの声が、震えだしているのが解った。
「馬鹿なこと…」
クロウがルーナの言葉を否定しようとすると、それを小さい声でさえぎるようにルーナが言った。
「…本当に、死にたかったから…もう、生きていたくなかったから…早く楽になりたかったから…」
その言葉に、クロウはもう自分の気持ちを抑えることが出来なくなってしまう。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!」
クロウは大きな声をあげてそう言うと、下をうつむいてぽろぽろと抑え込んでいた涙を流し始める。
「クロウ…さん?」
「…馬鹿なこと言うなよ…」
涙が止まらなかった。目から流れ出る涙は、ルーナの横たわるベッドにどんどん落ちていく。
「クロウさん…」
そんなクロウに少しでも近づこうと、ルーナは全身に走る痛みをこらえながら上半身を起こした。
「ルーナ!」
「…わっ」
クロウは上半身を起こしたルーナを力強く抱きしめる。
「頼むから…死ぬとか言うな…死にたいとか…言うな」
どこにも届かない、切実な願い…それでもそう言うしかなかった。
「クロ…さん…私…」
するとルーナの声も涙声に変わっていく。
「ルーナ?」
「クロウさん…私…私…まだ死にたくない…もっとクロウさんといたい…」
クロウの言葉に、ルーナも自分の思いを口にする。
弱々しい口調でも、その言葉には強い想いを感じる。
「クロウさんが好きだから…大好きなクロウさんともっといたいから…」
そして自分を抱いてくれるクロウの背中を弱々しく抱きしめてきた。
「…ルーナ」
「お願い…私、まだ……もう死にたいなんて二度と言わないから…私…」
もっと生きたい…もっと生きて、大好きなクロウと一緒にいたい
たとえそれが口で言うことしか出来ない、かなわない願いだったとしても…
そう口にせずにはいられなかった。
それが、ルーナの心からの願いだから…
「…もっとクロウさんと一緒にいたい…私…まだ死にたくないです…」
「大丈夫だって…お前は死んだりしない。絶対に良くなるから…」
クロウにもルーナがどうなるかが分からないわけじゃない。
けれどクロウは、ルーナがどうなるのか…その言葉を決して口にはしない。
ルーナが死んでしまうと、自分の口からは決して言いたくなかった。
「けどっ…けど、私っ…」
クロウの胸に抱かれ、目から涙をボロボロこぼしながら、ルーナはクロウの言葉を否定しようとする。
「…大丈夫だって…絶対、大丈夫だって…」
クロウはルーナを強く抱き、そう何度も繰り返す。
その言葉はルーナに言い聞かせるだけじゃなく、もしかしたら治るかも知れないと…自分も信じたかった。
自分の中だけにある僅かな望みを、なくしたくなかった。
それをなくしたら、本当に全てが終わってしまう気がしたから…
「…はぃ…」
クロウの言葉に押され、ルーナはそう返事をした。
「大丈夫だから…」
「はい…」
ルーナの目からは、涙が止め処なく流れ続けていた。しかしそれは悲しみの涙だけじゃない…
自分を支えてくれるクロウへの、嬉し涙も一緒に流れていた。
「ルーナ…大丈夫か?」
クロウは抱きしめていたルーナの体を離れ、支えながらルーナをベットに横たわらせる。
「はい、ありがとうございます…クロウさん」
「ん…気にするなって…」
「…クロウさん…」
「どうした…ルーナ」
小さなルーナの声にクロウは敏感に反応を返した。
「あの…手を…握っててくれませんか…」
「…解ったよ」
そう言うとクロウは、ルーナの左手を強く握り締めてやる。
「クロウさんの手って、大きくて、温かくて大好きです…凄く落ち着くんです」
「そうか…」
ルーナの言葉に、クロウは少しだけ照れ笑いを浮かべながら返事をする。
「ごめんなさい…クロウさん」
少ししてルーナは、クロウにそう言った。
「何がだよ…」
「病気のこと…黙ってて…」
ルーナの病状については、これまで全く知ることはなかった。
確かにこうなる前に、知りたかったと思う。
けれどもう過ぎてしまったことを、言っても仕方ない。
「…良いって。そんなの気にしなくてもさ…」
「はい…ありがとうございます…クロウさん」
ルーナの返事にクロウは少しだけ照れながら言う。
「今更、『さん』なんてつけて呼ぶなって…」
「…はい…ありがとう…その、クロウ…」
最初で最後…自分のことを、名前だけで呼んでくれた瞬間。
自分とルーナの距離が、完全になくなったと思った。
「あぁ…」
クロウはルーナの言葉に、笑顔を見せる。
そしてルーナは、クロウのことを呼び捨てにして小さく笑うと、目を閉じて何も話さなくなってしまった。
遠くからでは、眠っているようにも見える。
「…ルーナ?」
けれどクロウが声をかけても、ルーナはもう何の反応も返してはくれない。
「眠いだけだよな…そう、だよな…」
それでも自分の握るルーナの左手は、だんだんと温かさをなくしていく…
まるで金属で出来た手を握っているかのように、硬く、そして冷たく…
「…ルーナ?…眠いだけなんだよな…眠い、だけだよな…」
クロウがルーナの顔に目を向けると、そこにはさっきまでの苦痛に満ちた表情ではなく、
安らかな顔がそこにあった。
「ルーナ……ル…ナ…」
共に強く握り合うその手に、クロウの涙がこぼれていく。
冷たさと温かさ…二つの手の上に、止め処なくこぼれていった。
涙が、止まらなかった。止められなかった…
悲しかった…悲しくて悲しくて、
泣くことしか出来なくて悔しかった。
大好きなのに、何も出来なかった…
何もしてやれなかった…
ただ悲しくて、
泣くことしか出来なかった…
第9話 日記
誰もいない部屋の中で、クロウはただ黙って座っていた。
「…ルーナ…」
また涙が出そうになってきた。
昨日この場所で体験したことが、頭の中によみがえる。
温かな手が冷たくなっていく…忘れられないあの感覚…
「……」
あの後クロウは医者を部屋に呼び、ルーナの体は別の場所に移された。
身よりのないルーナは公営の共同墓地に葬られることになるだろう。
「ルーナ…お前、今どこにいるんだよ…」
もう世界中どこを探しても、ルーナがいないことは解っている。
それでも会いたい…話したい…身体に触れたい…
その強い思いが、クロウにそう口を開かせる。
クロウがうつむいたとき、そこにはルーナのバックがあった。
思わず開けて中を見てみると、空の薬瓶や、着替えなどの中に一冊のノートを見つけた。
「…に、っき?」
表紙のタイトル欄には、『diary』と書かれていた。
「これ…」
そして開いた日記のページに目を向けると、そこには自分の名前が所々に書かれていた。
「ルーナの…日記?」
そう言ってクロウは、日記に書かれていた内容を読み進める。
最近新しくしたせいか、書かれている日にちは少ない。
それでも自分と出会う前日から、いなくなる前日までの日記がしっかりと書かれていた。
「ルーナ…」
日記には自分の名前が、何度も登場してきた。
クロウとぶつかったあの日のこと…クロウと話したこと
日々の日記に、クロウのことが書かれていない日はないほどだった。
「ルーナ…」
毎日が楽しい…自分と会えることが楽しい…そしてルーナが最後に言った願いのことも、しっかりと書かれていた。
生きたい…生きて、もっと一緒にいたい…
「ルーナ…」
また涙がこぼれてきた。
昨日一生分の涙を流したと思っていたのに、また止め処なく流れてくる。
日記を読んで、もうルーナには会えないと実感した。それが枯れ果てたはずの涙をよみがえらせる。
「ルー、ナ…」
クロウはルーナの日記を握り締めながら、誰もいない部屋で泣いていた。
最終話 約束の丘
クロウはただ黙ったままゆっくり歩いていた。
「良い天気だな」
空を見上げると、そこには雲ひとつない青空が広がっていた。
太陽の日差しも強く、冬とは思えないほどに暖かい。
「絶好の日、って感じだな…」
少し暗い口調でそう言うと、クロウは人通りの少ない道を歩いていく。
「ふぅ…ちょっと疲れたな」
数分後、クロウは病院の裏手にある小さな丘の上に立っていた。
「良い景色だな…」
クロウはそう言うと、持っていた荷物をその場に置く。
その丘からは一面に海を望むことができた。
『病院の裏に、綺麗な海を見ることが出来る丘を見つけた。いつかクロウさんと一緒に行きたいな…』
クロウと狩りに出かけた日の前日の日記にルーナが書いていた場所にクロウはきていた。
「海か…そう言えば久しく行ってないな」
クロウはまるで誰かに言い聞かせるような口調で言いながら、目の前に広がる海を眺めていた。
「ごめんな…一緒に来れなくて…」
一緒にこの丘に来る…もしかしたら自分がルーナにしてやれる、唯一のことだったかも知れない。
それすらしてやることが出来なかったことが、悲しかった。
「……」
クロウはずっと海を見つめ続けていた。
すると突然、強い風が自分の後ろから吹いてくる。
「ぅっわ…」
そして同時に、聞き覚えのあるような声が聞こえた気がした。
一言だけ…何度も聞いた言葉が聞こえた。
空耳じゃない。はっきりじゃなくても、聞き間違えることのない声…
『…ありがとう…』
クロウは声の聞こえた方に顔を向けるが、そこには何もなく、ただ空の景色が広がっているだけだった。
「ルー、ナ?」
それでも確かに聞こえた。きっと近くにルーナがいる…クロウはそう思った。
「…別に、気にしなくても良いって」
クロウはそう小さく笑いながら、聞こえた声に返事を返す。
自分の横に、確かに人のいる気配がした。姿は見えなくても、誰かがいるような気がした。
「なぁ、ルーナ」
クロウは目の前の海を眺めながら、ゆっくりと口を開く。
「俺さ…本当は、お前のところ…行きたいんだ」
会いたいから…愛するルーナに会いたい…その思いは変わらない。
どんな形でも良いから、ルーナに会いたかった。
クロウがそう言うと、身に感じる視線は悲しいものへと変わる。
「…大丈夫だって…そんなことしないから…でも、お前が好きでさ…好きで…そっちで
一人ぼっちになってねぇかな…とかさ。考えてたんだ…ずっと」
感じる視線にそう返事を返す。
自分の手の届かない場所にルーナが行ってしまったと思うと、そのことばかりが気がかりで仕方がない。
ルーナはずっと、独りぼっちで過ごしてきた。だから別の場所に行って、寂しがっていないかと…そう思わない日はなかった。
だから今すぐルーナのところへ行きたい…
「でも俺…まだ生きなきゃいけない…親父のことも心配だし、もっともっと…親孝行とかもしてやりたいからさ…」
けれどその道を選ぶことは、父親を悲しませるだけになってしまう。
クロウには、父親を悲しませることだけは出来なかった。
(あのリオレウスもこんな気持ちだったのかな…)
クロウはあの日見た、深い悲しみを宿したリオレウスの目を思い出した。
ルーナを失ったあの日からクロウは生き物の命を奪うような仕事は引き受けることをやめた。
「だから俺、今すぐそっちには行けない…ごめんな。けど俺、ずっとずっと…好きだからさ…ルーナのこと、ずっと」
どんなに愛しくても、もう顔を見ることも身体に触れることも出来ない。
ルーナのことは、自分の頭の中の記憶と思い出だけしか残っていない。
それでも…それでも……
『…ありがとう』
再びそう一言だけ、声が聞こえたような気がした。
「…そんなの、気にすんなって…」
クロウは笑いながら返事を返した。
「なぁ…ルーナ…」
少しの沈黙の後に、クロウは何かを聞こうと声をかけようとする。
「あ、いや…なんでもない…」
しかしその言葉を途中で止めて、再び空へと目を向ける。
「わり…もうそろそろ帰るよ。親父が今日退院するんだ」
そう言って地面に置いた荷物を持とうとすると、自分の身体に人のぬくもりを感じた。
「…!」
明らかに自分の後ろから、誰かに抱きしめられているような感覚。
「……ルーナ」
クロウは自分の首もとに感じる人の手の感覚に、自分の手を合わせる。
空を切っているはずなのに、そこには確かに感じる温かさがあった。
『大好き、です…』
「俺もだよ…」
そうクロウが言うと身体から温かさが遠のいていき、優しい風が頬をかすめていく。
「んじゃー…またな…」
『さよなら』とは言わない。いつになるかは解らないけれど、それでもまた会えると信じてるから…
そう言ってクロウは荷物を持って、昇ってきた道を下って行った。
何も…何も気にしなくていいよ…
俺達は必ず、この空の上で出会う。
どんなに時が経とうとも、この気持ちは揺るがない。
この胸に刻み込んだ、君への思い…
今度出会うそのときは、絶対にその手を…身体を…
…全てを離さないから…
だからその時まで、待っていて…
必ず…必ず君を、迎えに行くから…
番外 辿り着く場所
「ルーナ…」
虚ろな瞳で目の前に広がる闇を見つめながらクロウは呟いた。
ルーナの最期を見とったあの部屋でクロウは何度目かの春を迎えた。
開け広げた窓から吹いてくる風が心地よい。
「…もうすぐ、お前に会いに行けそうだよ…ルーナ…」
老いて細くなった腕を宙に上げながら、クロウは目を細める。
「あれからたくさん、たくさん…色々なことがあったよ。
すべて話そうとしたら、一日じゃ終わらないくらいに…」
今までの人生を振り返るかのようにクロウは穏やかな口調で呟く。
人に自慢できるような、立派な人生を送ったわけではない。
思い出すと、愚かさに恥じ入ってしまう事もあった。
けれどそれすらも、懐かしく思えてしなうのは何故だろう。
「……なぁ、ルーナ…こんな皺くちゃの爺さんが側に行っても驚かないでくれよ…」
不意にクロウは眠気に襲われた。
今まで心地よく感じていた風の感覚が急に遠ざかっていく。
そしてクロウはあの時から一日たりとも忘れたことのない、とても懐かしい声を聞いた。
『……ゥさん、ねぇクロウさん…』
クロウは目を開き声の方に目を向けた。
「ぁ……」
声にならなかった…そこに、クロウがこの世で唯一愛した人がいた。
『やだなぁ、忘れちゃったんですか?』
忘れられない声、忘れることなどできる筈のない声。
「忘れるわけないだろ…」
クロウの目から、不意に涙がこぼれた。
「待っててくれたんだな…」
クロウは立ち上がりルーナをそっと抱きしめた。
いつの間にかクロウの姿があの時の…ルーナと出会った頃の姿に変わっていた。
『当たり前じゃあないですか…』
そして二人はどちらからともなく歩き出す
な? また会えただろ?
迎えに来てくれたのはルーナの方だったけどさ…
俺はルーナと会えて本当によかった。
ルーナを好きになれて本当によかった。
確かにあの時は悲しかったけどさ。
それでもまたこうして会えた。
もう絶対離さないから…
全ての出会いには必ず意味がある。
全ての別れにも必ず意味がある。
俺はルーナに会えて本当によかった
大好きだよ、ルーナ。
本当に、本当に会えてよかった。
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